聖書:ヨハネ20章11節~18節

11 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
12 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
13 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
14 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
15 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
16 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
17 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
18 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

 2009年から「裁判員制度」が始まる。国民の中から選ばれた六人の裁判員が三人の裁判官と協力して被告人の有罪、無罪。有罪の場合、刑の内容を決める。裁判官と一緒に議論して決める制度だ。これから裁判、裁判所という言葉に違和感がない時代が来る。裁判の時、大事な役割を担うのが「証人」である。今日はイエス様の復活を目撃した一人の女性、マクダラのマリヤの人生を考えてみたい。
1 .イエス様との最初の出会い
 マクダラのマリヤに関する、最初の様子は七つの悪霊に取りつかれていた人だ。彼女は悲惨な状態の時、イエス様に出会った。イエス・キリストが彼女のところに来られて悪霊を追い出して下さったので彼女は正気に返った。彼女はその後、溢れる感謝と喜びでイエス様と弟子達に奉仕した。
2 .イエス様の十字架と復活の目撃者
 しかし、やがて彼女は一生の間、味わったことのない最悪の瞬間を迎える。彼女は十字架のそばで幾人かの女性達と共にイエス様の十字架の苦難を全部目撃した。イエス様の死体を納める時も一緒だった。イエス様の死体に塗るために香料も買っておいた。彼女の悲しみは口では表現出来ないものだった。彼女は全てを失った。希望も喜びも失った。止まらない涙が三日間続いた。ところで、三日後、彼女の涙は計り知れないほどの喜びに変わった。彼女は三日後、復活のイエス様と出会った。四つの福音
書から見るとイエス様の復活を目撃した第一の目撃者はマグダラのマリヤである。四つの福音書にイエス様の復活の証人としてマグダラのマリヤの名前がある。彼女が偉い人なので第一の証人になったわけではない。彼女を第一の証人として選んだのはイエス様である。私達も主の証人になりたくてなったわけではない。主が働き人として選んで下さったので奉仕をさせて頂いている。
3.初代教会の証人
 彼女は初代教会で復活の良き証人として喜びの奉仕をしたと思う。しかし、彼女だけは涙の日も続いたと思う。その理由は彼女がイエス様の証をすると未信者が信じてくれないからである。その時代は、女性は証人になれない。彼女には復活の証人になれないもう一つの決定的な弱点がある。過去、七つの悪霊につかれていた経歴がある人の話を人々は信じてくれない。しかし、神様の証人は神様が認めて、神様が選ぶ。神様はイエス様の復活を知らせることに置いて人間の地位、資格を頼りになさらない。
神様は罪深い人間を頼りにして福音を知らせるお方ではない。神の御前ではマクダラのマリヤもアリマタヤのヨセフも皆、罪深い一人の人間に過ぎない。反対に誰でも主が認めて下さる証人は少々弱さがあっても主の証人になれる。神様が立てあげて下さったマクダラのマリヤが良き証人になったのなら、私達も良き証人になれる。過去、私達がどんな人だったのかも大事だが、それよりこれからどんな人になって行くのかがもっと大事だ。