聖 書 イザヤ37章31~32節、コロサイ2章6~7節
37:31 ユダの家の、のがれて残る者は再び下に根を張り、上に実を結ぶ。
37:32 すなわち残る者はエルサレムから出、のがれる物はシオンの山から出る。万軍の主の熱心がこれをなし遂げられる。

2:6 このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受けいれたのだから、彼にあって歩きなさい。
2:7 また、彼に根ざし、彼にあって建てられ、そして教えられたように、信仰が確立されて、あふれるばかり感謝しなさい。

金  言 ユダの家の、のがれて残る者は再び下に根を張り、上に実を結ぶ。
(イザヤ37:31)

今日の説教題は荻窪の今年の教会標語にならいました。来週はもう12月です。毎週の週報に掲げてきた標語を振り返ることで、この年の初めに聴いた神様のみこえを心にしかと受け止めましょう。

1.ヒゼキヤ、絶体絶命の祈り

イスラエルの南ユダ王国に敵の大軍アッシリアが大挙して攻めて来て、降伏を迫ったとき、ヒゼキヤ王は一心に神に祈ります。祈りの応えは預言者イザヤによってもたらされました。その一部が「ユダの家の、のがれて残る者は再び下に根を張り、上に実を結ぶ。」というメッセージでした(37:31)。イスラエルの歴代の王には、敵に勝つためには、異邦人の国と同盟を結んだり、貢ぎ物を贈って敵におもねるなど、神様の喜ばれない誤った戦略を選んだ王もいました。しかしヒゼキヤがこの窮地を神様に向って解決を求めたことは正しい態度でした。それゆえ神はヒゼキヤの祈りに応えられてアッスリヤの大軍は滅ぼされました。人間は往々にしてうまく事が運んでいるとき、差し迫った問題がないとき、または自分の力で対処ができる程度の問題なら、神様を呼び求めないものです。多くの人は自分が神様を必要とするほど弱くないと考えます。しかし同じ人を思いがけない試練が襲い苦しみ悩み始めるとき、問題は自分の力では到底解決できそうもないと考え始めると焦ります。万策尽きたそのときにわたしたち人に残された道が「祈ること」なのです。そんなときの祈りはその人に信仰があるかないかはともかくとして、人間誰もが自分を超えた存在に向ってひたすら「我を助けたまえ」と魂が叫び声をあげるのです。多くの人はそうなって見て初めて自分の非力な存在を憂いて天に向かって祈らずにはおれないのです。人を自ずから祈りに向わせ給うお方、それが神なのです。

2.下に根を深く張り広げ、上には豊かな実を結ぶ

ヒゼキヤは祈りました。国民を額ずかせる権威ある王であっても、被造物に過ぎない人は万物の創造者である神の前にひざまずきこうべを垂れます。彼はそうすることで神のささやかれる御言葉から知恵と力を授かるために、耳を傾け神に近づいたのです。植物は生長に欠かせない養分や水分を求めて地面の下に地下茎を張り巡らします。木がその枝を豊かに茂らせるためには、土の中ではその枝先よりもっと深くまたは遠くに根を張らなければなりません。そうでないとその木は頭でっかちの不安定になります。もしその木を台風や地震が襲って土壌は緩んだら、頑丈な木でも根こそぎ倒れてしまいます。上に大きく成長する木は、目に見えませんが間違いなく地中深く大地に根を張り広げて、その木の土台を支えて、どの枝にもきれいな花を咲かせ、たわわに実を結ぶのです。ところでどんな人もその木の枝ぶりをほめる人や花と実を喜ぶ人はいても、土の中に隠されている木の根をほめる人などいません。けれども根というものは人の目に触れることはなくても、木々を彩る花や好ましい実よりも大切なものです。人もまた木のようです。木にとって人目に触れない根が肝心なように、クリスチャンは日々の人目には隠れた神との交わりで養われます。それが御言葉と祈りに満ちた生活です。その結果は時がたてば木の上でキリストの香りを放つ花を咲かせ、豊かな実を結ぶという目に見える成果に現れてくるのです。

3.キリストの中に根ざして

私たちキリスト者は教会として、また一人ひとりが豊かな実を結ぶことを願っています。ところが何年信仰生活が経っても、成熟したクリスチャンとして多くの実を結ぶことができない自分にがっかりすることがあります。しかしどんな実でもすぐには大きくなりません。今日神様から示されたことに少しずつでも取り組んでいるなら、いつかは実を結びます。今はその準備期間なのです。
冬になるとほとんどの木は葉をすっかり落として枯れたように見えます。そこへ冷たい風が吹きつけます。そのようにわたしたちの人生にも冬が訪れ寒風が吹きます。しかしそれは決して無駄にはなりません。「風が吹いたら作物が良く育つ」と言われます。そのわけは、苗を植えたすぐは根が細くまだ十分に土の中に伸びていません。そんな季節に風が吹くと、苗は飛ばされないように細い根はぐっと土の中でふんばるそうです。そうして風が吹くたびに根はふんばってたくましくなり、しだいに養分を吸収し強くなっていきます。もし風が吹かないと根は弱いままだそうです。わたしたちも困難の風が吹くとき、神と神の言葉にしっかりとどまり、キリストを信じる信仰に深く根ざす生活をしましょう。信仰を守っても何も変わらないと感じる時に尚、人知れず忍耐という根をしっかり張れば、時が来ると実を結びそのなすところ皆栄える季節は必ずやってくるのです(詩1:3)。