聖 書 ヘブル人への手紙13章7、17節
13:7 神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。
13:17 あなたがたの指導者たちの言うことを聞きいれて、従いなさい。彼らは、神に言いひらきをすべき者として、あなたがたのたましいのために、目をさましている。彼らが嘆かないで、喜んでこのことをするようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にならない。

中心聖句
「神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。」(ヘブル13:7)

  今年は敬老の日が9月21日です。教会では先立って本日の礼拝後、高齢者に敬意を込め健康を願い祝福のお祈りをささげたいと思います。箴言16:31には「しらがは栄えの冠である、正しく生きることによってそれが得られる。」とあります。日本では近年、老いて身体が衰えてくると俊敏な若者よりも軽んじられて厄介者扱いされがちですが、聖書の世界ヘブル社会は、長生きは神様からの祝福であり、しらが頭の高齢者が敬われる社会でした。今日は先輩の信仰者にならうために聖書に出てくるリーダーたちがどのような信仰者であったかを学びましょう。

1.神のことばを語り継ぐもの

「信仰は聞くことから始まる」(ローマ10:17)とあるように、指導者は民を導くために「主はこう言われる」と神の言葉を忠実に伝えます。モーセは80歳にして神に召されて、エジプトで奴隷となって苦しむヘブル人を解放して、荒野の40年の旅路を導き、神が約束された地カナンへ率いていきます。聖書には神はその友と語るようにモーセと語ったとあり(出33:11)、明らかに言って、なぞは使わない(民12:8)と神のみこえを親しく聞いたモーセは、聞いた通りに一字一句を民に伝えました。しかしモーセは終着点を目前にしてその地に入ることを神様からゆるされず激動の生涯を終えます。申命記29章~32章47節までは使命を終えようとする老指導者モーセから民たちへの長い「決別説教」です。「あなたがたはわたしが、きょう、あなたがたに命じるこのすべての言葉を心におさめ、子供たちにもこの律法のすべての言葉を守り行うことを命じなければならない。この言葉はあなたがたにとって、むなしい言葉ではない。これはあなたがたのいのちである。…」(申32:46~47)。モーセは自分が死んでも神のことばは永遠に残り、それを聞き守り行う者はいのちを得ると言い残しています。「思い起しなさい。」(7)は継続性を表し、思い出し続けることを強調しています。指導者は神のことばを愚直に語り続けるのです(Ⅱテモ4:2)。

2.信仰の指導者の生きざま

指導者の語ったことばだけでなく、注目すべきは彼らの生活の結末です。ヘブル11:24~27はモーセの生涯を要約しています。モーセは九死に一生を得てエジプトの王宮で帝王学を学びますが、成長するにしたがってヘブル人として目覚めて、「むしろ神の民と共に虐待されることを選び、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と考え」、あえて厳しい神の道を選びました。

使徒行伝20:17~38でパウロは第三次宣教旅行の帰りエルサレムに戻る途中で、これが最後になるだろうと御霊に示されていました。エペソの長老たちに決別をしています。「しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。」(24)。聖書の指導者たちの生活の最後にならって、わたしたちは年老いて死期が近づいても福音にある希望を喜んで、生き生きと神様に対する信仰をあかしするクリスチャンでありたい(Ⅱテモ4:7)。

3.たましいに心を配る

指導者は「神に言いひらきをすべき者」であり、「たましいのために心を配る者」です。アブラハムはソドムに住む甥のロトを思い、神様が町を滅ぼされようとするのを止めようと懸命に申し開きをしました(創18:16~33)。モーセは自分をそしった姉のミリヤムをかばい彼女の重い皮膚病が治るまで旅の出発を待ちます(民12:1~16)。バルナバはサウロをかばい使徒たちの仲間にとりなしました(使9:26~28)。パウロはどんなに迫害されても同朋のイスラエル人が救われることを切に願って「実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。」(ローマ9:3)と公言しています。良い指導者の特徴は自分を犠牲にしても他を生かそうとする献身的な人です。指導者たちが喜んでたましいのために心を配る者となれるように祈り支えて従いましょう。