聖 書:詩篇133:1~3

ダビデがよんだ都もうでの歌
(1)見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。
(2)それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。
(3)またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。

2016年度教会標語は「神の愛を分かち合う-交わり」である。旧約聖書からの本年度教会聖句を開く。ダビデが都もうでを歌った美しい詩篇である。この詩篇の主題は兄弟の一致である。1節「和合して共におる」という言葉を、新共同訳「共に座っている」、新改訳「一つになって共に住む」と訳す。旧約聖書中「共に」という語は484回使われ、共に集うという意味では97回あり重要度が解る。兄弟とは肉親の兄弟、民族の兄弟、神の家族としての兄弟の意味もある。関係が近いので仲が良いとは言えない。聖書中の兄弟、カインとアベル、エサウとヤコブを考えても解る。私たちはどのように一致していけば良いのか。

Ⅰ.香油の注ぎ、聖霊の注ぎ(2節)
2節に大祭司アロンの油注ぎが出てくる。用いられる香油は出エジプト30章22節から30節に出ており、聖具と祭司のきよめだけに使われる。レビ記8章10節から12節に祭司の聖別の実際が出てくる。香油の注ぎに旧約聖書の祭司によって司られた祭儀が象徴されている。今の私たちに当てはめれば神の民が集まる礼拝に当たる。かつて祭司と聖具に油が注がれたが、新約聖書以降にあって油は聖霊の象徴である。2週間後にはペンテコステになるが、聖霊が降って福音の宣教が始まり教会が生まれた。初代教会に聖霊は力強く働かれ、愛と一致によって前進していった。一致は聖霊によって新たに生み出される。

Ⅱ.空からの露、天よりの露(3節)
3節に「ヘルモンの露がシオンの山に下る」とある。聖書で露は天来の神様の恵みを表す。先の油注ぎが教会や礼拝への祝福という公同の恵みであるなら、露が降るのは個人の恵みである。露は大気の寒暖の差によって夜明け前に下る。雨のように音はなく静かであり、ずぶ濡れではなくわずかな湿り気を与える。日が昇れば乾いてなくなってしまう。神様の個人的な祝福は、日が昇る前の朝早く、注意深くなければ受け取れない。個人の朝の祈りと御言が神様の愛と慈しみに満ちた時間であるように願う。ヘルモン山から下った流れはガリラヤ湖、ヨルダン川、死海へとイスラエルを貫いて流れている。朝毎に天来の恵みに共に与ろう。

Ⅲ.一致がある所への祝福(3節)
兄弟の麗しい一致は、聖なる油が注がれた大祭司アロンのようであり、ヘルモン山に下る朝露のようであると詩篇は歌われている。3節「とこしえに命を与えられた」とあり、一致がある所への主の祝福は永遠に至るものである。ヨハネ福音書17章22・23節にイエス様は一致の祝福を語られている。私たちが信じる父なる神様、子なるイエス様、聖霊なる神様は一つである。私たち神の家族とされたものは神様が一つであるように、信じる者たちも一つとなる。イエス様が弟子たちに最後に語られているように、一つとなることにイエス様の十字架の目的がある。一つとされたことによって力をいただきこの世にイエス様の救いを証ししていくことができる。

主の尊い救いに与った私たちは神の家族として一つとされ主の栄光を表わそう。