聖 書:エペソ1:1~6

(1) 神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。
(2) わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。
(3) ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
(4)みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
(5)わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
(6)これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。

リオオリンピックの選手として選ばれることは当事者にとっては大きな喜びであり、栄誉なことであると思います。「神の選び」について考えて見ましょう。

1.選びの主体-だれが選んだのか→父なる神
私たちの人生には生死は別にして選択の自由が与えられています。聖書は「キリスト者は「父なる神によって選ばれた」と明言しています。
2.選びの精神-どのような精神で選ばれたのか→祝福をもって
選出過程においては、人間的な思惑や感情が錯綜するものですが、キリスト者の選びには人間的な要素は何一つ介入する余地がありません。神は「天上で霊のもろもろの祝福をもってわたしたちを祝福」して下さったのです。
3.選びの時期-いつごろ選ばれたのか→天地の造られる前から
私たちの人生は悠久の歴史においては束の間に過ぎません。しかし私たちは「天地の造られる前から選ばれた」のです。あまり細かいことをあれこれ問題にするのは、キリスト者には似つかわしくありません。
4.選びの目的-どのような目的をもって選ばれたのか→きよく傷のない者
聖書は「御前で、聖く、傷のない者となるように」、「神の子たる身分を授けるように」という目的をもって選ばれたのです。
5.選びの手段-どのような手段を用いて選ばれたのか→恵み
聖書は「イエス・キリストにあって」と記しています。つまりキリストの十字架による贖いなくしては実現しなかったみ業であったことが良く分かります。
6.選びの基準-どのような基準によって選ばれたのか→神の御旨
聖書は「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。…決して行いによるのではない。」(エペソ2:8-9)と教えています。すべての恵みは「キリストの 血潮による贖い」が規準であることがよく分かります。
7.選びの動機-どのような動機をもって選ばれたのか→神の愛
選びの動機は「愛のうちに」です。以上7点の内容において私たちは選ばれ、召され、定められたのです。
オリンピックの選手にはメダル獲得の期待が寄せられています。私たちキリスト者に期待されているのは「神の栄光をほめたたえる」ことです。この一事のために私たちは神に選ばれたのです。