聖  書:イザヤ書 42章1~9節
(1)わたしの支持するわがしもべ、わたしの喜ぶわが選び人を見よ。わたしはわが霊を彼に与えた。
彼はもろもろの国びとに道をしめす。
(2)彼は叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞えさせず、
(3)また傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく、真実をもって道をしめす。
(4)彼は衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。海沿いの国々はその教を待ち望む。
(5)天を創造してこれをのべ、地とそれに生ずるものをひらき、その上の民に息を与え、その中を歩む者に霊を与えられる主なる神はこう言われる、
(6)「主なるわたしは正義をもってあなたを召した。
わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、
(7)盲人の目を開き、囚人を地下の獄屋から出し、
暗きに座する者を獄屋から出させる。
(8)わたしは主である、これがわたしの名である。
わたしはわが栄光をほかの者に与えない。また、わが誉を刻んだ像に与えない。
(9)見よ、さきに預言した事は起った。わたしは新しい事を告げよう。その事がまだ起らない前に、
わたしはまず、あなたがたに知らせよう」。

3週間ぶりに荻窪での講壇に立たせていただく。酷暑の夏も9月となった。第一聖日は北米の教会文化から伝わる振起日である。神様によって心身共にリフレッシュいただき、実りの秋、クリスマスを迎えていこう。

Ⅰ.しもべの歌
改めてイザヤ書は内容から前半を1-39章、後半を40-66章と分けることができる。章数も、内容も、旧約聖書、新約聖書と対照でき、小聖書とも呼ばれる。40章からの後半部分に「しもべの歌」と呼ばれる内容が含まれる。「メサイア」のハイライトの一つ53章の「受難のしもべの歌」が最も有名であろう。イザヤ書後半にしもべの歌が4回、5回、6回あると諸説言われている。この42:1-9は紛れもなくしもべの歌である。しもべには主人があるが、ここで主人は神様である。イザヤ書各所に見られるしもべは幾つかの解釈がある(イザヤ、クロス王、イエス様、私たち…)。42:1-9のしもべはマタイ12:18-21に引用されており、イエス様を指している。私たちの救いのために神様からしもべとして遣わされ、仕えてくださったイエス様を見よう。

Ⅱ.しもべの姿
しもべであるイエス様(1節)は神様の絶対なる選びと支持があり、神様の霊が豊かに宿っておられる。イエス様の降誕700年前、イザヤに神様は救い主の姿を明白に示された。次にイエス様の働きが語られている(1-3節)。「道をしめす」行くべき道を指し示して下さる。「叫ぶことなく、声をあげることなく、その声をちまたに聞こえさせず」とある。逆ではないかと感じるが、世の中で不真実なものほど声高であることも多い。真実であれば寡言でも必ず人に知られて行く。福音を伝えるための方法は多言ではなく、忍耐深く、へりくだってである。イエス様の人の取り扱いを見る(3節)。「傷ついた葦を折ることなく、ほのぐらい灯心を消すことなく」傷つき、打ちひしがれている人にイエス様は近く、励まし起こし立たせる御方である。さらにイエス様の姿は(4節)「衰えず、落胆せず、ついに道を地に確立する。」とある。イエス様は悪の力、罪の力が強くとも人々の救いを待ち望み続けておられる。遣わされた救い主がしもべとして忍耐し、仕えて下さる。ここに神様の愛があり、救いがある。

Ⅲ.しもべの偉大さ
創造者である大いなる神様は救い主イエス様に権能と栄光を与えられる(5-9節)。イエス様が全ての人の光である(ヨハネ1:9全ての人を照らすまことの光)。この方によって、私たちの魂が暗闇から解放され、盲人の目が開かれる(ヨハネ9:41見えると言い張るところにあなたがたの罪がある)。私たちの心の目が開かれることこそ重要である。囚人を地下の獄屋から出しとあるが、罪に囚われた私たちが解放される(ヨハネ8:34罪を犯す者は罪の奴隷である)。全く新しい救いの業が預言され、救い主イエス様によって、今現実にされている。

私たちはこの大いなる救いに与り、守られている。真の光に照らされ、自由にされている。9月、秋に向かって新しい思いで歩み、主に仕えていこう(マルコ16:19・20)。