聖書:エステル記4:10~17

4:10 エステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えた。
4:11 「王の家臣たちも王の諸州の民も、だれでも知っているように、召されないのに奥の中庭に入って王のところに行く者は、男でも女でも死刑に処せられるという法令があります。ただし、王がその人に金の笏を差し伸ばせば、その人は生きながらえます。私はこの三十日間、まだ王のところへ行くようにと召されていません。」
4:12 彼がエステルのことばをモルデカイに告げると、
4:13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたは、すべてのユダヤ人から離れて王宮にいるので助かるだろう、と考えてはいけない。
4:14 もし、あなたがこのようなときに沈黙を守るなら、別のところから助けと救いがユダヤ人のために起こるだろう。しかし、あなたも、あなたの父の家も滅びるだろう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、このような時のためかもしれない。」
4:15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
4:16 「行って、スサにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食してください。三日三晩、食べたり飲んだりしないようにしてください。私も私の侍女たちも、同じように断食します。そのようにしたうえで、法令に背くことですが、私は王のところへ参ります。私は、死ななければならないのでしたら死にます。」
4:17 モルデカイは出て行って、エステルが彼に頼んだとおりにした。

エステル記はペルシャ帝国の支配下でのユダヤの民の話である。年代的にはエステル記はエズラ記とネヘミヤ記の間に当たる。聖書で女性が主人公である書巻はルツ記とエステル記。旧約聖書にも女性の活躍が記されている。モーセの姉ミリアム、エリコのラハブ、士師の一人デボラ、サムエルの母ハンナ、預言者フルダ(列王Ⅱ22:14~)…彼女たちの神様への信仰、困難に対して勇気を持って立ち向かい、道を切り開いていく姿は、性別とは何ら関係が無い。

Ⅰ.基本的なことがら
著者:古来、モルデカイ、エズラとも言われてきた。
執筆年代:クセルクセス王(アハシュエロス:ヘブル語標記)の治世の第3年から始まる(1:3前483年)。その後としてモルデカイやエズラの名が挙がる。
大区分:一つのストーリーとしてつながっていくので特に区分はない。
1章王妃ワシュティの失脚2章エステル王妃となる
3章ハマンの陰謀、ユダヤ人虐殺の布告4章エステルの決心
5章エステルの宴会6章ハマンの屈辱7章ハマンの失脚
8章モルデカイの布告9章ユダヤ人の勝利、プリム祭の制定
10章モルデカイへの賞賛

Ⅱ.全体のメッセージ:
ペルシャの王宮という異国の雰囲気で始まる。エステル記には神様の名が出てこないという大きな特徴がある。ユダヤ人のモルデカイやエステルの信仰、祈りが、ペルシャの神々に向かうはずはない。エステル記には、神様の摂理や計画が緻密に織り込まれていることに感嘆する。王妃ワシュティの失脚で、ユダヤ人のエステルが選ばれた。クセルクセス王は不眠の一夜に記録を読みモルデカイの忠信を知った。ハマンの悪い邪な計画は、全てハマン自身に降りかかっていくことを見る。私たちが知らない所で神様は働かれている。しかし、神様はご自分の民にも苦しみや困難を除かれずに残されている。同時にご自分の民のために最善を用意されている。最善を無条件で与えようとされているのではない。エステルやモルデカイの信仰、神様への信頼、それに基づいた勇気、自分を犠牲にしてもという行動を引き出されている。私たちも神様の前にそのようであり、神様の大いなる働きを拝したい。神様の名が記されていないことは、逆に神様を指し示している。聖書中他の書巻と比べても、神様の御心、神様の働きが明示されている。

Ⅲ.聖書箇所のメッセージ:エステル記4:10~17
モルデカイは民族の危急に際して、エステルに命がけの行動を求めた。モルデカイ自身が命をかけているからこそ言える言葉である。エステルも命がけで応えていった。ここから、話は急転回を迎えていく。彼らは民族の存亡がかかっている以上に、真の神様の御名が汚されないために立ち上がっていった。私たちは信仰によって自分の命よりも大切なものを受け止めていることは幸いなことである。それは、命を軽んじるのではなく、命を与えて下さっている神様のために精一杯、自らを活かして生きる生き方である。

エステルの時と使命は特別なものであった。私たちの時も使命も私たちに与えられた特別なものである。