聖書各巻緒論30・預言書8
聖書:アモス9:11~15

9:11 その日、わたしは倒れているダビデの仮庵を起こす。その破れを繕い、その廃墟を起こし、昔の日のようにこれを建て直す。
9:12 これは、エドムの残りの者とわたしの名で呼ばれるすべての国々を、彼らが所有するためだ。──これを行う主のことば。
9:13 見よ、その時代が来る。──主のことば──そのとき、耕す者が刈る者に追いつき、ぶどうを踏む者が種蒔く者に追いつく。山々は甘いぶどう酒を滴らせ、すべての丘は溶けて流れる。
9:14 わたしは、わたしの民イスラエルを回復させる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。
9:15 わたしは、彼らを彼らの地に植える。彼らは、わたしが与えたその土地から、もう引き抜かれることはない。──あなたの神、主は言われる。」

聖書各巻から小預言書12巻の3番目に当たるアモス書となる。小預言書は説教では余り語られないかも知れないが、各巻に特徴があり、味読されると必ずや神様の恵みに与られるだろう。

Ⅰ.アモスの特徴
1:1を読むとアモスが「テコア出身の牧者の一人」であり、7:14には「いちじく桑の木を栽培していた。」ともあり半農半牧の生活をしていた。テコアはベツレヘムから南へ8~9Kmにある。アモスは祭司出身の宗教者でもなければ、学者として学んだ者でもない。イエス様の降誕でよく語られる野の羊飼い、地の民(アム・ハ・アレツ)に属している。かつて、モーセはエジプトからイスラエルの民を導き上った。モーセはエジプトからミディアンの荒野に逃れて40年間羊飼いの生活をした。モーセにとって荒野が神様の学校、実地の訓練であった。アモスもテコアの野が神様との交わり、訓育を受ける場所であった。アモスの活動時代は1:1に「ユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアム(2世)の時代」とある。アモスはホセアより前の預言者であり、イザヤと少し重なるがイザヤの方がアモスより後の預言者になる。

Ⅱ.アモスの時代
アモスの活動については「イスラエルについて彼が見た幻である。」(1:1)と記されている。南王国ユダの出身でありながらアモスは北王国イスラエルに遣わされて神様の使信を語った。ヤロブアム2世の時代、アッシリアは内政が不安定であり、パレスチナに手を伸ばすことができなかった。北王国イスラエルは繁栄し、経済的に潤ったが、宗教的、道徳的、社会的に腐敗し切った時代となった。神様はアモスを遣わし「主はシオンからほえ」(1:2)とあるように、アモスは神様の怒りを帯びて吼えるように叫んだ。エルサレムの神殿、王宮にいた預言者には果たせない力強さを覚える。アモス書は四区分される。1・2章は周辺諸国への審判、3~6章は北王国イスラエルへの審判、7章~9:10は幻による啓示である。本日開かれた9:11~15は回復の希望である。

Ⅲ.アモスの使信
イスラエルは神様の特別な選びを受けながら、神様に背いたことは大罪であった(3:1・2)。神様はイスラエルの形式的な宗教儀礼を受けられず、繁栄や誉を変えて、飢饉や疫病を送られ滅亡に向かわせられる。イスラエルの状態は「炎の中から取り出された燃えさし」(4:11)であり、神様の求めは「イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ。」(4:12)である。神様はアモスに幻を見せられて啓示を与えられた。8章には「一かごの夏の果物」が出てくる。そこに示された裁きは「パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことの飢饉である。」(8:11)と言われる。9章に立たれる主は黙示的であり終末を示す。最後の9:11からはイスラエルの最終的な回復である。

神様の裁きと回復は、アッシリア、バビロンによる南北両王国の滅亡と回復を指しているが、さらに終末の最終的な回復をも示している。アモスの明確な神の言は、時を超えて私たちにも響いている。