聖書箇所:コロサイ2:1~10

2:1 私が、あなたがたやラオディキアの人たちのために、そのほか私と直接顔を合わせたことがない人たちのために、どんなに苦闘しているか、知ってほしいと思います。
2:2 私が苦闘しているのは、この人たちが愛のうちに結び合わされて心に励ましを受け、さらに、理解することで豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを知るようになるためです。
2:3 このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。
2:4 私がこう言うのは、まことしやかな議論によって、だれもあなたがたを惑わすことのないようにするためです。
2:5 私は肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたとともにいて、あなたがたの秩序と、キリストに対する堅い信仰を見て喜んでいます。
2:6 このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。
2:7 キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。
2:8 あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。
2:9 キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。
2:10 あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威のかしらです。

聖書を読むことを普通にしていただきたい。聖書に親しんでいただく助けとして1巻ずつの特長、内容の話をしてきた。知識的なことは最低限にして、信仰的な受け止めができるように語ってきた。教会の暦、教会の働き、他のテーマもあり本年度第一回である。

Ⅰ.コロサイの信徒への愛
コロサイは小アジア内陸部フルギヤ地方(現在はトルコ)の町、ラオデキア、ヒエラポリスに近い。古代に栄えたがパウロの時代には衰えていた。パウロの伝道旅行と関りがある(使徒19:10)が、パウロは行ったことは無い「私と直接顔を合わせたことがない人たち」(1節)。弟子のエパフラスがコロサイの出身で郷里伝道を行った結果である「あなたがたは…エパフラスから福音を学びました。」(1:7)。行ったことのない教会、会ったことのない信徒であってもパウロは話に聞き、祈っていた。この手紙からどれ程この教会を愛していたかが分かる(1:3~6)。パウロの牧会者としての姿を見る。

Ⅱ.コロサイの信徒へ信仰の勧め
短い手紙であるが、その内容は濃密と言える。イエス様はどのような御方であるかが大きな主題になる。イエス様は救い主として、私たちの罪の贖い(1:14)となった。その後の1:15以降にはイエス様が全てに先立たれ、万物の造り主であり、教会のかしらとなり、やがて全てを一つにされることが記されている。イエス様が歴史を超え、全てのものを超え、全てを支配しておられる超越した存在として記されている。
さらに、イエス様は「この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」(1:27)とある。バックストン師「神の奥義なるキリスト」、小島伊助師「奥義なるキリスト」はここからである。本書は長くはないがその深さによって愛されている手紙である。イエス様がどれほど偉大な御方であるかが記された後に、その御方が私たちの内に住まわれるという。モーセの幕屋、ソロモンの神殿ではなく、私たちの内に住まうとは自分を見るほど、知るほどに信じがたいが「私たちは生ける神の宮なのです。」(コリント第二6:16)。

Ⅲ.コロサイの信徒へ知識の勧め
イエス様が私たちの内に住まれることを信仰によって受け取る。同時に「…神の奥義であるキリストを知るようになるためです。このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」(2~3節)。当時の他の教会でもそうだが、コロサイ教会への警告は「まことしやかな議論」(4節)、「空しいだましごとの哲学」(8節)が入り込もうとしていた。正統から外れる教えであり、「この世のもろもろの霊による」(8節)神様に敵する霊的な力である。これらへの勝利は「豊かな全き確信」(2節)、「神の満ち満ちたご性質」(9節)を内に住まうイエス様によっていただくことによる。複雑に多様化した現在の私たちにも、内なるイエス様を崇めることはさらに必要である。

この世の悩み、心配事は多くあるが、イエス様を内に持っているのならば何も心配はない。永遠に至る輝きの中で私たちは守られている。