説 教 題:「主の守りの確かさ」   井上義実師
聖書箇所:ユダ17~25

1:17 愛する者たち。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの使徒たちが前もって語ったことばを思い起こしなさい。
1:18 彼らはあなたがたにこう言いました。「終わりの時には、嘲る者たちが現れて、自分の不敬虔な欲望のままにふるまう。」
1:19 この人たちは、分裂を引き起こす、生まれつきのままの人間で、御霊を持っていません。
1:20 しかし、愛する者たち。あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。
1:21 神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。
1:22 ある人々が疑いを抱くなら、その人たちをあわれみなさい。
1:23 ほかの人たちは、火の中からつかみ出して救いなさい。また、ほかの人たちは、肉によって汚された下着さえ忌み嫌い、神を恐れつつあわれみなさい。
1:24 あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方、
1:25 私たちの救い主である唯一の神に、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、支配、権威が、永遠の昔も今も、世々限りなくありますように。アーメン。

Ⅰ.聖書通読の恵み
2021年に荻窪栄光教会では教団の公用聖書に合わせて「新改訳2017」に改めた。教団で公用聖書が変更されたのは約60年振りとなった。聖書も新しくなり、1年間で聖書通読をしようと呼びかけた。毎日約4章を読めば1年間で聖書全巻を読める。毎日の通読表を配り、週報にも1週間の通読箇所を記し始めた。この年約30名の方々が1年間で聖書通読を終えられた。この2021年度から聖書全巻を読むための理解の助けとして聖書66巻を1巻ずつ1回の説教で語るようにした。5年以上かかったが、今日で65回目となった。聖書は66巻であり、ヨハネの黙示録で終わる。終末が近づいていると思えるこの時代に、ヨハネの黙示録は1回で終われない。礼拝で連続して語ろうとしたが、考え直して、別の機会に分けて話をしたい。
聖書通読というと私はできませんと言う方もあるだろうが、決して高くて険しい目標ではない。聖書を通して読めば聖書の見方が変わり、もっと身近なものとなる。一緒に励まし合って読めるように、皆さんに改めて呼びかけたい。

Ⅱ.前半の警戒
今日のユダの手紙も普段、なかなか読まない。章の区切りがない短い手紙で、5分あれば読めるが、神の言葉の重みは変わらない。手紙を書いたユダはイエス様を裏切ったイスカリオテのユダではない。ユダはヨセフとマリアから生まれ、イエス様の弟として育った。イエス様が天に帰られた後、兄のヤコブらと共に初代教会に仕えた。
新約聖書は終わりのヨハネの黙示録に近づくにつれて、文章に終末の色合いが強くなる。ユダの手紙は教会に偽教師が入り込み、間違った教えを説き、滅びに向かわせようとしていると指摘している。これは終わりの時に起こる預言ではなく、現実に起こっている(4節)「それは、ある者たちが忍び込んできたからです。彼らは不敬虔な者たちで、私たちの神の恵みを放縦に変え、唯一の支配者であり私たちの主であるイエス・キリストを否定している」。

Ⅲ.後半の勧め
読んでいただいた17節からが信仰の勧め、励ましになる。終わりの時に不信仰、不敬虔なあざける者たちが現われる。信仰者を惑わし、自分の側に引きずり降ろそうとする。私たちは(20節)「あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。」と勧められている。「最も聖なる信仰」は「聖なる」という言葉の最上級で書かれている。終わりの時代にはいつも目を覚まし、心を引き締めて、イエス様を待ち望んでいなければ押し流されてしまう。
意思も弱く、悪に負けてしまいやすい私たちを神様はご存知である。20後半・21節に「聖霊によって祈りなさい。神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」とある。聖霊は私たちを祈りに導く。神様の愛は完全であって私たちを守る。イエス様はあわれみと慈しみによって導いてくださる。三位一体の神様が総動員で、悪しき時代にあっても私たちの救いを全うさせてくださる。

この手紙は頌栄(24・25節)で閉じられる。私たちに限りない愛を表し、救いに導き、永遠に至るまで守ってくださる御方に賛美がささげられる。私たちの周りに、私たち自身に心痛むこと、失望することはたくさんある。神様を見上げる時にそれらを振り払うことができる。聖霊による祈り、神様の完全な愛、イエス様の慈しみが私たちを支える。みことばが道しるべとなる。