聖書箇所:出エジプト33:12~16

32:12 どうしてエジプト人に、『神は、彼らを山地で殺し、地の面から絶ち滅ぼすために、悪意をもって彼らを連れ出したのだ』と言わせてよいでしょうか。どうか、あなたの燃える怒りを収め、ご自身の民へのわざわいを思い直してください。
32:13 あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルを思い起こしてください。あなたはご自分にかけて彼らに誓い、そして彼らに、『わたしはあなたがたの子孫を空の星のように増し加え、わたしが約束したこの地すべてをあなたがたの子孫に与え、彼らは永久にこれをゆずりとして受け継ぐ』と言われました。」
32:14 すると主は、その民に下すと言ったわざわいを思い直された。
32:15 モーセは向きを変え、山から下りた。彼の手には二枚のさとしの板があった。板は両面に、すなわち表と裏に書かれていた。
32:16 その板は神の作であった。その筆跡は神の筆跡で、その板に刻まれていた。

6月は参加オープンにした教会役員研修会、続いて信徒懇談会で教団の過去、現在、将来の話をした。教団委員会では今が大きな転換点であり、何をすべきなのかを祈り、考え、実行してきた。教団改革の初めから語ってきたが、改革を支える土台は私たちが受け継いできた信仰である。これからの働きは、私たちの信仰がより豊かに、大きくされなければならない。

7月20日は教団創立記念日、7月第二聖日は中田師・森山師召天記念礼拝なので、今週と次週は教団の信仰について語りたい。教団の信仰は、昔は良かったという回顧主義ではなく、次の世代に息づくことを何よりも願っている。私は、信仰は人から人に人格を通して受け渡されていく命あるものと受け止めている。今週、次週は教団の創立に関わる御言から語る。

 

Ⅰ.神様の御顔

私たちの教団は「臨在信仰」によって生まれ、歩んでいると言われる。先輩の先生方の言葉として初代委員長の小島伊助師の教団創立時の挨拶、教団創立50周年時の教団委員長・岩田扶美二師の文章を説教原稿の巻末に付けた。

神様の臨在とは何か。旧約聖書の臨在は14節の注にあるように「顔」と訳せる。人にとって顔は身体の各部の中で特別なものである。顔はその人の人格、個性、尊厳が表れる。「臨在」は神様の御顔である。人でも顔が大事であれば神様の御顔はどれ程、尊く、偉大なものだろうか。罪が無かったエデンの園のアダム・エバ、神の人モーセなど例外は除いて、人は神様を見ることはできない。しかし、詩篇11:7「御顔を仰ぎ見る」とあるように信仰によって仰ぐことはできる。また、詩篇27:9「御顔を私に隠さないでください。」とあるように不信仰は神様と人の隔てになる。詩篇89:15「幸いなことよ喜びの叫びを知る民は。主よ彼らはあなたの御顔の光の中を歩みます。」とあるように御顔の光に照らされて歩むことが、臨在の内に歩むことである。

 

Ⅱ.イスラエルの臨在

旧約聖書を見ていくと神の人に神様は臨在を表され、神様への礼拝のために祭壇が築かれ、聖所が設けられた。臨在を覚える場所として、アブラハムはシェケム(創世記12:6・7)、べエル・シェバ(創世記21:32~33)、ヤコブはベテル(創世記28:10~19)、ペ二エル(創世記32:24~30)を聖所とした。

神様と交わる聖所は、個人的な信仰の記念の場所から始まる。モーセの時代には幕屋、ソロモン王の時代にはエルサレムの神殿に神様の臨在は表された。神様の民のために神様の栄光、神様の臨在が広げられていった。他のどの民にも表されなかった神様の栄光、臨在がイスラエルの民に表されたのは素晴らしいことだった。しかしながら、残念なことに彼らは神様の臨在を尊ばず、神様の臨在が失われてしまうことになる。

 

Ⅲ.私たちの持つ臨在

イスラエルに神様の臨在、栄光は表されたが、イスラエルに限られていた。しかも、イスラエルからは取り去られてしまった。やがて神様の時が満ちて、すべての人を照らすまことの光としてイエス様はこの世にお生まれになった。イエス様はマタイ1:23には「その名はインマヌエルと呼ばれる。…神が私たちとともにおられる」とある。マタイ28:20にあるイエス様の最後の言葉は、「見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」。イエス様は私たちと共におられ、私たちの内に住まわれる臨在の神様である。イエス様を信じる者全てに与えられる大きな神様の恵みである。今や、イエス様の十字架の贖いによって全ての人に恵みは開かれている。

私たちにイエス様の臨在は確かなものとしてあり、神様の歴史は終末の完成に向かっている。コリント第一13:12には「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、そのときには顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、そのときには、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」とある。イエス様が共にあり、内にあるということがよく分からないという方があるだろうか。信仰を持って歩んでいただきたい。これから先に向かってもっと明らかにされていくということを聖書は語る。神様の御国の完成の時には、黙示録21:3「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。」とある。

 

神様の臨在はアブラハムに表され、イスラエルの民に表され、今やイエス様を通して全ての人に表されている。神様の御国は完成を目指しており、神様の臨在はもっと明らかにされる。終末に向かってこの世は暗さを増して行くだろうが、神様の輝きは明るさを増して行く。「臨在は救い」と言われてきたが、神様が最も近くに共に、内にいてくださる祝福である。この信仰を持ち続けていく私たちである。この御方を持ちながら神様の栄光を仰ぎ、待ち望んでいこう。