説 教 題:「心の渇きに気づいたら」後藤健一師
聖書箇所:ヨハネの福音書4:1~15
7月に入り本格的な夏を迎えました。暑くなると、熱中症予防のために水分補給が大切になります。「体の中の水分が不足すると、熱中症、脳梗塞、心筋梗塞など、さまざまな健康障害のリスク要因となります。…私たちが生きていくために『水』は欠くことのできない存在です」(環境省HPより)。では、心の渇きに対しては、どうしたらいいのでしょうか。今朝はその事について教えています、「イエス様とサマリアの女性との対話」の聖書のお話に心を向けて参りましょう。
- 一人一人の救いを渇き求める主イエス様(4・1~9)
この時、主イエス様は多くの人から慕われていたユダヤを去って、ガリラヤに行く途中のサマリア地方で疲れを覚えて、井戸の傍らで休んでおられました(1~6)。サマリアの地域の人たちとユダヤ人とは歴史的経緯の中で不仲でした。それでユダヤ人はわざとサマリアの人たちが住んでいるこの地域を避けて通るほどでした。しかしイエス様はユダヤ人であるのに、「サマリアを通って行かなければならなかった」(4)のです。これは「サマリアを通って行く事が父なる神の御心であった」と理解できる言葉です。それは、この後、イエス様が対話するこのサマリアの女性の救い、さらには、この地域のサマリアの人々の救いを求めての事でした。それは愛しているからでした。
さてイエス様が傍らに座っていたその井戸に、サマリア人の女性が一番暑い正午に、人目を避けてでしょうか、重い水瓶を抱えて水を汲みに来ました。イエス様はそんな彼女に「わたしに水を飲ませてください」(7)とお願いしました。彼女は驚きます。なぜなら、①ユダヤ人とサマリア人とは昔から仲が悪く、②ユダヤ人はサマリア人を宗教的に汚れていると見下していたからであり、③当時ユダヤ教の教師が道端で堂々と女性に声をかける事は非常識だったからです。そのため彼女は驚き、イエス様に言いました。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリアの女の私に、飲み水をお求めになるのですか」(9)。「サマリアの女の私に!?」が強調されています。
2.心の渇きを癒される救い主イエス様(4・10~15)
イエス様は驚く彼女にお答えになります。「もしあなたが神の賜物を知り、また、水を飲ませてくださいとあなたに言っているのがだれなのかを知っていたら、あなたのほうからその人に求めていたでしょう。そして、その人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」(10)。「神の賜物」とは救い主イエス様ご自身とその御言葉の事と言えます。「生ける水」とはヘブル語的表現では「流水」や「湧き水」を指しますが、ここでの「生ける水」とは飲料水の事ではなく、イエス様から流れ来る神様の愛や恵みや命、その御言葉、救い、さらには後にイエス様を信じる者たち(教会)の心に注がれる神様の聖霊(ヨハネ7・37~39)を示しています。それらの良きものは、イエス様を信じて受け入れる事で与えられ、心が潤されるのです(詩篇42・2)。
しかし彼女はよくわかりません。イエス様の与える水は飲料水の事だと思っています。そしてイエス様に対してすぐに水を汲んであげません。「主よ。あなたは汲む物を持っておられませんし、この井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れられるのでしょうか。あなたは、私たちの父ヤコブより偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を下さって、彼自身も、その子たちも家畜も、この井戸から飲みました。」(11~12)。彼女はこの井戸から生きるためにいつも水を汲んでいました。この井戸の深さゆえに苦労していた事でしょう。「この井戸は深いのです」は「あなたは汲む物を持っていませんがこの井戸の深さを知っていますか?水を汲むのは大変ですよ!」と言っている様です。さらに「私の先祖はこの井戸を与えたヤコブだ」と彼女は言います。彼女はこの井戸に詳しかったのです。
しかし、彼女は救い主イエス様を知りません。そんな彼女にイエス様はさらに言われます。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます」(13~14)。イエス様は彼女の魂の奥深い所の渇きを全てご存じでした。それはこの世の何かによっては埋め合わせる事ができない、主イエス・キリストにしか埋める事のできない魂の空洞であり、癒す事のできない心の渇きでありました。彼女は、この後、主イエス様と対話を続ける中で、心の渇きが癒されます(16~30)。
「わたしに水を飲ませてください」(7)。これは彼女を救うためのきっかけ作りという事を超えた、主なる神様ご自身の切なる望みです。思えばこれは驚くべき事です。神の御子で何でも持っておられる主イエス様がへりくだって、「わたしに水を飲ませてください」と望まれ、お願いするのですから。これは神様が愛して止まない一人一人の救いを渇き求める神様の渇きと言えます。あなたでなければ癒せない神様の愛の渇きです。主イエス様は全ての人の救いを今も切に求めます。「いのちの水」の源泉(エレミヤ2・13)である主イエス様を心に信じ受け入れ、このお方との交わりに生きていく時、心の渇きが癒される人生に入る事ができます。その事を神様は切に望んでおられます。
