聖日礼拝説教要旨‘26.8.9
ビジョン2025③主の愛に導く教会
説 教 題:「主の愛に導かれる」 井上義実師
聖書箇所:ヨハネ第一4:11~18
4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、互いに愛し合うべきです。
4:12 いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
4:13 神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。
4:14 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、その証しをしています。
4:15 だれでも、イエスが神の御子であると告白するなら、神はその人のうちにとどまり、その人も神のうちにとどまっています。
4:16 私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。
4:17 こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。
4:18 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。
続いて、ビジョン2025「神への賛美にあふれ、聖霊によって励ましあい、主の愛に導く教会」から、3番目の主の愛に導く教会について語る。今夏の働きの祝福と本年度後半の働きを心一つに進めていこう。
Ⅰ.神は愛です
ある人は「人間とは、自分がどんな風に愛されているのかを無意識の内にも探求する存在である」と言っている。母の腕に抱かれた小さな頃から、年を重ねていく私たち誰もが当てはまる言葉ではないか。愛されていると思えることによって安心や満たされる思いを持ち、愛されていないと思うことによって不安や欠けを覚える。周囲から愛されることは人間の本質的な部分に関わっている。
ヨハネがこの手紙を書いたのは晩年に近づく頃である。若き日にイエス様に出会い、従い、長く仕えてきた。老ヨハネが遺言のようにして、最も伝えたかったことは16節「神は愛です。」である。ヨハネが長い信仰と経験を通してこのことを繰り返し語っている。
ヨハネがこの第一の手紙4章で語っていることは第一に「神は愛です」である。神様の愛は私たちが神様を知らない前からあった。第二には「神は私たちを愛しておられる。」ことであり、ひとり子イエス様を世に遣わされ、罪のための宥めのささげ物とされたことによって表されている。第三には「互いに愛し合うことによって神様の愛が全うされる」ことである。神様の愛を知り、神様の愛を受け取り、神様の愛に生きて行くことをヨハネは語っている。
Ⅱ.神にとどまる
私たちも神様の愛に生きなさいと言われただけであれば、どうしようかと思う。13節「神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。」とある。聖霊によって私たちが神様のうちにとどまり、神様も私たちのうちにとどまる。ヨハネはとどまるという言葉を自身の福音書、手紙で67回使っている。とどまるという言葉は口語訳聖書ではつながる、いますと訳した。ここで使われている「とどまる」の時制は、現在もそうであり未来もそうあり続けることを表している。
神様は私たちが弱く、乏しいものであることをご存知の上で、聖霊によって守り支え導き、神様との命のつながりに留まり続けるように備えてくださっている。神様と私たちの愛は一方通行ではなく、相互通行によってつながっている。神様の愛は無限のものであるから、私たちは神様の愛の中で満たされ続けていく。
Ⅲ.神の愛を拡げる
私たちにイエス様を遣わして愛を表してくださった神様は、聖霊を通して神様の愛を私たちに注いでくださっている。神様の前に確信を持って立つことができる(17節)。聖書はやがて裁きの日に全ての人は神様の前に立つという審判を記す。絶対者である神様の前に立つことは恐れであるが、イエス様は父なる神様の前に私たちと共に立ってくださり弁護してくださる(黙示録3:5)「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。またわたしは、その者の名をいのちの書から決して消しはしない。わたしはその名を、わたしの父の御前と御使いたちの前で言い表す。」。
愛には恐れがないとあるように、私たちの救いは全きものであることを信じて歩むことができる。ヨハネ第一4:10「ここに愛があるのです。」と私たちは声を大きくして語り伝えていくものである。
私たち自身の日々の生活に苦しみ、痛みがある。この世の中に困難、危機がある。その中にイエス様は全き愛を表すために来てくださった。苦しみ、痛みの中にある人に、困難、危機の行き詰まりがある中で、全き愛があることを示していこう。
