聖書箇所:イザヤ書40:1~11

40:1 「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。──あなたがたの神は仰せられる──
40:2 エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。」
40:3 荒野で叫ぶ者の声がする。「主の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。
40:4 すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。
40:5 このようにして主の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る。まことに主の御口が語られる。」
40:6 「叫べ」と言う者の声がする。「何と叫びましょうか」と人は言う。「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。
40:7 主の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。
40:8 草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
40:9 シオンに良い知らせを伝える者よ、高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ、力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ、あなたがたの神を。」
40:10 見よ。神である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の御前にある。
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

教会の1年間の歩みの中で9月第一聖日は振起日と呼ばれる節目になる。暑い夏を終えて秋に向かう、出かける機会が多い夏を終えて落ち着いた生活に戻るといった意味がある。まだまだ暑くはあるが自然界も収穫の秋を迎える。私たちの信仰も豊かな恵みをいただこう。この礼拝で3名の姉妹が転入会されることに感謝。

 

Ⅰ.悲しめる者への慰めの知らせ

この書物を記したイザヤという預言者は2,700年ほど前、イスラエルの南王国ユダで活動していた。イザヤは神様からの裁き、審判のメッセージと赦し、回復のメッセージを語った。イザヤが語った神様の言葉は一つ一つ成就し、歴史的な事実として確かめられる。

丁度、イザヤ書の39章の終わりと40章の始まりがその区切りになる。新しいメッセージが語られる転換点が40章の始まりになる。慰めよという言葉が2回繰り返されている。この言葉は「力付ける」「あわれんで」とも訳される言葉である。神様はイスラエルの民をあわれみ、慰め、力づけ、励ましを与えようと繰り返し語られた。

今年も12月19日にヘンデル作曲のメサイアの公演を杉並公会堂で行う。メサイアは救い主イエス様を指しているが、最初の歌詞がこの言葉になる。テナーの独唱で「民よ、悩む民よ」と中田羽後師は訳された。イザヤの預言は中近東の歴史的事実で終わったのではなく、時代を超えてイエス様による慰めにつながっている。イエス様の言葉に「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるからです。」(マタイ5:4)とある。悲しみ、痛みは世の中にたくさんある。神様とつながる悲しみは自分の心の真相に気づいて、自分の罪の深さを知る悲しみである。神様は心砕かれたものを赦し、慰め、新生を与えてくださる。

 

Ⅱ.全ての人への救いの良い知らせ

神様はこのことを「良い知らせ」(9節)と言われた。イザヤは「良い知らせ」という言葉を繰り返し使ったが、新約聖書でパウロが引用している「なんと美しいことか、良い知らせを伝える人たちの足は、…ですから、信仰は聞くことから始まります。」(ローマ10:14-17)。

ローマ人への手紙で語られていることは、イエス様を通して表された救いは、全ての人への良い知らせである。この良い知らせは第一に、伝える人がいなければ伝わらない。良い知らせは第二に、良い知らせについて聞き、信じるという応答が、聞いた人に起こらなければならないことが語られている。

イエス様を信じて救いに与った私たちは、この良い知らせを伝える者である。良い知らせは「福音」と呼ばれる。福音を聖書はこう語る「兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。…あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。…私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。」(コリント第一15:1-5)

この福音を聞いて信じることは「私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。『義人は信仰によって生きる』と書いてあるとおりです。」(ローマ1:16-17)とある。福音は信じる人の内に神の力として働き、信仰に生きるものとして導いてくださる。

私たちが良い知らせを信じます、イエス様こそが救い主ですと一歩を踏み出すなら、神様は私たちを受け止めてくださって信仰へと進ませてくださる。備えられているものをありのままに受け取ることが大切である。

 

Ⅲ.私たちを守る良い羊飼い

神様は私たちの「羊飼い」(11節)であると記されている。ここにある羊飼いは良い羊飼いの姿である。羊を養い、羊を守り、羊に優しく接している。イエス様はヨハネ10章でご自分を「良い牧者」と繰り返し語られた。羊を養い、羊を導き、羊を命をかけて守る姿が語られている。羊は自分で牧草も水も見つけられない、一匹で行動できず群れで暮らす、敵が襲ってきても何の抵抗もできず、普段の世話が必要である。聖書は神様が羊飼いであり、私たちはその牧の羊であると繰り返し語っている。

私たちの救い主であるイエス様は私たちをいつも顧み、心にかけてくださっている。私たちの必要を備え、危害から守り、恵みへと導かれている。神様の救いは、神様の愛と恵みによって満たされている。

 

神様は私たちを慰めるとおっしゃっている。この慰めは高い所から語られているのではない。イエス様は最も低い所に降りてきてくださった。ご自分の全てを投げ出して救いを表してくださった。ここに真実な慰めがあり、救いがあり、愛がある。この愛に応えて生きよう。