聖書箇所:テサロニケ第一1:4~10

1:4 神に愛されている兄弟たち。私たちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っています。
1:5 私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いたからです。あなたがたのところで、私たちがあなたがたのためにどのように行動していたかは、あなたがたが知っているとおりです。
1:6 あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。
1:7 その結果、あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範になったのです。
1:8 主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。そのため、私たちは何も言う必要がありません。
1:9 人々自身が私たちのことを知らせています。私たちがどのようにあなたがたに受け入れてもらったか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、
1:10 御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを、知らせているのです。この御子こそ、神が死者の中からよみがえらせた方、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスです。

ビジョン2025 「神への賛美にあふれ、聖霊によって励ましあい、主に愛に導く教会」

ビジョン2025は私たちの教会のビジョンとして2025年2月に策定した。私たちが拠って立つ基盤として簡潔な言葉で要約されている。この理念から実際の施策が生み出され、実現していくことができるように取り組んできた。ビジョン2025策定のために教会運営企画室で具体化を行い、教会役員会、教会総会を経て確定した。ビジョン2025を生み出す時に、教会運営企画室で開かれてきたのがテサロニケ人への手紙であった。ビジョン2025の霊的な基盤はこの手紙にある。改めて、本年度後半を迎えてテサロニケ人への手紙を開いて私たちの歩みを確認し、前進することを願っている。

 

Ⅰ.テサロニケでの宣教

新約聖書の使徒パウロは第2回伝道旅行でアドリア海に開けた小アジアのトロアスでマケドニア人の幻を見た(使徒16:9・10)。神様の御心を信じたパウロたちはエーゲ海を渡ってマケドニアに足を踏み入れた。マケドニアの州都がテサロニケであり、商業や交易で栄えた町だった。テサロニケの伝道はわずか3週間と記されている(使徒17:2)。イエス様の救いの福音を聞いた「大勢のギリシャ人たち」「かなりの数の有力な婦人たち」(使徒17:3)がパウロたちに従ったとある。しかし、この町でもねたみを起こしたユダヤ人たちの妨害、迫害を受けてパウロたちは町を立ち去ることになった。

パウロのまいた種は小さかったが、神様の群れはそこから芽生え成長していった。小さなからし種(0.5mm程度)からも空の鳥が宿るほどの木となるとイエス様は言われた(マタイ13:31・32)。福音には神様の命が宿っている。まかれた神様の言葉から神様の働きが始まっていく。その確かな事実をテサロニケでも見ることができる。私たちにとって大きな励ましである。

 

Ⅱ.テサロニケでの戦い

テサロニケでは伝道の期間が短かっただけではない。ユダヤ人の暴徒が暴動を起こし、信徒の家を襲った。そのように敵対するものたちも多かった。パウロたちは生まれたばかりの我が子のようなテサロニケの信徒たちを置いて出ていくのは、多くの心配があったことだろう。

しかし、パウロたちは神様によって希望を持ち、神様ならばと信頼を寄せていたことが分かる。パウロたちがイエス様の救いの福音を語った時、「私たちの福音は、ことばだけでなく、力と聖霊と強い確信を伴って、あなたがたの間に届いた」(5節)と記している。神様からの確かな手応えを感じていたというのは何と感謝なことかと思う。

また、福音を聞いて信じたテサロニケの信徒たちの様子がどうであったかのかは「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」(6節)とある。テサロニケの群れには確かな信仰があった。

語る側には聖霊による確信があり、聞く側にも聖霊による喜びがあった。聖霊の働きは「御霊による一致」(エペソ4:3)をもたらし、「御霊は一つ」(エペソ4:4)であることが証しされる。私たちは救いに与り、教会において一つの聖霊によって一致していくことができる。

パウロたちはテサロニケの群れに心を配ったが、聖霊による希望を持ち続けていた。私たちもお互いの考えや思いが違っていても、聖霊の働きを尊び、聖霊による一致をもち、希望を持って神様の業に当たっていくことができる。

 

Ⅲ.テサロニケで結ばれた実

パウロたちは生まれたばかりの神様の群れを置いて出ていきたが、どのような群れに成長していったのか。「マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範」(7節)、「主のことばがあなたがたのところから出て、マケドニアとアカイアに響き渡っただけではなく、神に対するあなたがたの信仰が、あらゆる場所に伝わっています。」(8節)とある。テサロニケの群れは信者の模範となる信仰、響き渡るほどの信仰を持つものとなった。

聖書は手元にない、牧師を始めリーダーに当たる人もいたかどうか分からない、パウロや弟子たちはいつ来るか分からない、信徒だけのような状態でもわずかな知識だけを頼りに、ただ神様を見上げて自分たちの信仰を持ち続けていった。その結果はギリシャ全土に伝わるほどの信仰者の群れになった。「良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。」(マタイ7:17)、「あなたがたは彼らを実によって見分けることになる。」(マタイ7:20)とイエス様は言われた。テサロニケに良い実がまかれ、良い木が育ち、良い実がなって神様にある喜びとなった。

 

私たちの内にまかれた福音は良い実であって、決して悪い実ではない。実がまかれていながら成長が阻まれるのは不要なものがあるからである。イエス様が語られた種まきのたとえ(マタイ13章、マルコ4章、ルカ8章参照)のように、固いかたくなな心、試練が来るとすぐに身を引いてしまう心、生活の煩い、富、快楽にふさがれる心ではなく、柔らかな素直な心を持つことにある。テサロニケの信徒たちは苦難の中でも、素直に御言を受け止め、信仰の歩みを続け、神様への希望を失わなかった。ここに私たちの信仰の歩みの基盤がある。この上に神様の働きを果たしていこう。神様と人に喜ばれる良い実が豊かに実っていく。