聖 書 士師記 6:28-31

(28) 町の人々が朝早く起きて見ると、バアルの祭壇は打ちこわされ、そのかたわらのアシラ像は切り倒され、新たに築いた祭壇の上に、第二の雄牛がささげられてあった。(29) そこで彼らは互に「これはだれのしわざか」と言って問い尋ねたすえ、「これはヨアシの子ギデオンのしわざだ」と言った。(30) 町の人々はヨアシに言った、「あなたのむすこを引き出して殺しなさい。彼はバアルの祭壇を打ちこわしそのかたわらにあったアシラ像を切り倒したのです」。(31) しかしヨアシは自分に向かって立っているすべての者に言った、「あなたがたはバアルのために言い争うのですか。あるいは彼を弁護しようとなさるのですか。バアルのために言い争う者は、あすの朝までに殺されるでしょう。バアルがもし神であるならば、自分の祭壇が打ちこわされたのだから、彼みずから言い争うべきです」。

親は子供のためにあらゆる犠牲を喜んで払う。父母は子供の為なら何でもやる。今までの考えや価値観、宗教も変える。今日のみ言葉に出てくるヨアシがそうだ。町の偶像を壊したので危機一髪に襲われている子供を救い出す為に今まで崇拝してきた偶像を捨てた。町の全ての人々と言い争っている父の姿から父上の深い愛を感じる。
今日のみ言葉の出来事を通してヨアシとギデオンは新たな親子関係になった。正しい親子関係に関しては聖書に書いてある。今の時代なぜ親子の間にトラブルが多いのか?その原因を考えながら聖書のみ言葉を通して新たな親子関係を作って行きたい。
Ⅰ.地のものによる親子関係
 「父の家にあるバアル像を壊しなさい」とギデオンが神様に言われた時、ギデオンも戸惑いがあったかも知れない。バアルの像を壊したら、父が縁を切るかも知れ ない。ギデオンの親子にとってバアルの偶像は親子関係を繋げる一つの象徴的な物である。この世の中には親子の愛の関係を象徴するものがたくさんある。
 鯉のぼり、ひな人形、仏壇などがある。親が子供を愛する気持ちを具体的に表すことには何の間違いもないが愛の表現がいつも偶像の形になるのが問題だ。全世界が同じ傾向である。
 親子の関係は神様が結んで下さった尊い関係である。神様が結んで下さった関係だから、神様の方法によって関係を守って行かなければならない。具体的に言えば、神様のみ言葉によって関係を守って行くべきである。

Ⅱ.み言葉による親子関係

 ギデオンの親子の間に今までなかった神様のみ言葉が与えられた。ギデオンはそのみ言葉に従った。父ヨアシもみ言葉を受け入れ、ギデオンの行為を許した。ひどい目に遭うかも知れないところで父が全てをかけて子供を守った。今までになかった素晴らしい愛の親子関係が神様のみ言葉によって出来た。クリスチャンはこの世のものではなくて神様のみ言葉による新たな親子の関係を作らなければならない。 聖書のイスラエルの民も神様の約束のみ言葉によって親と子供が繋がった。親から 子供にその子供が孫に、世代と世代が繋がって行った。神様から頂いた約束のみ言葉を子孫に残した。彼らは神様の約束のみ言葉の故に全世代が一つになった。新しい親子関係の為に現在私たちに必要なことは神様のみ言葉である。
Ⅲ.神様の特別任務による親子関係
 ギデオンの親子は他のイスラエルの人々とは違って神様からの特別な任務が与えられた。イスラエルの民からバアルの偶像を追い払い、神様への信仰を回復させることである。しかし、あまりにも膨大な仕事なのでギデオンの世代で完成されることではない。ギデオンの子供たちも続けてしなければならない仕事だった。しかし、結論から申しあげるとギデオン家は失敗で終わった。ギデオンの老後、イスラエ ルの民はまた、偶像礼拝に陥ってしまった。日本で信仰生活を続けている私たちは他の国のクリスチャンとは違って特殊の任務を持って生まれた。日本の教会をリバイバルさせなければならない任務がある。一世代で出来る仕事ではない。何世代をかけて続けなければならない大きな仕事である。日本のリバイバルという尊い目的の下で親の世代と子供の世代を結んで行きたいのである。尊い目的を持って子供を育てると尊い子孫を得られる。神様のみ言葉と使命によって新たな親子関係を築いて行こう。