聖  書  ヨハネ14:15~19

15:もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。
16:わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
17:それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
18:わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
19:もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。

金 言  
もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。      (ヨハネ5:15,16)
 
 主イエスが十字架にかかり、罪の贖いとして死に、救いを成就することを理解できずに、不安を感じ混乱し狼狽している弟子たちがいます。ユダが裏切り、姿を消し(14:30)、ペテロは悲壮な覚悟をします(14:38)。主イエスは、そのような弟子たちに最後の決別説教をしました(ヨハネ14-16章)。「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい」(14:1)。
 トマスは「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」(5)と質問しています。主イエスは「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」と答えました。ピリポの「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」の質問に、主イエスは「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか」(9)と答えています。この大事の時、目の前の主イエスに対しての「チグハグさ」を感じます。主イエスによって召され、三年半、従って来たことは無駄であったのでしょうか。
 けっしてそうではありません。主イエスを信じる者が、主イエスが目の前におられなくても、主ご自身を、永遠に親しく知り信じ生きることができるように、主イエスは「助け主」(15)「真理の御霊」(16)の約束をされたのです。
1.「助け主」「真理の御霊」はどのようなお方か
(1)三位一体の第三位の神です。
(2)人としてこられた主イエスと同じように、わたしたち共に、心の内にいてくださるお方です(16,18)。この世は、聖霊を求めず、知ろうともしません。
(3)「助け主」です。ギリシャ語の「パラクレイトス」とは「そばに呼ぶ」と意味です。慰め主、カウンセラー、弁護士、援助者、激励者です。
(4)「真理」とは神の言葉です。「すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」(使徒2:4)。
2.聖霊に満たされる秘訣
(1)主イエスの約束を信じることです。主イエスの十字架の救いは、信じる者に聖霊を与えるためです。約束の言葉を信じ、うえかわき、求める者に必ず与えられます(16)(使徒1:8,2:1~4)。
(2)イエスを愛することで、むずかしい理屈はいりません。「聖霊に満たされること=主イエスへの愛に満たされること」です。「そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである」(ローマ5:5)。
(3)主イエスに従うことです。愛するから、従うのです。「神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである」(エペソ4:30)。「聖霊無視、軽視」の信仰生活は「この世と神とのチグハグな生活」です。
主イエスに従う力は、聖霊から来る力です。神の力を経験することができます。「聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、…わたしの証人となるであろう」(使徒1:8)