聖  書  エステル記4:1~7

1:モルデカイはすべてこのなされたことを知ったとき、その衣を裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、町の中へ行って大声をあげ、激しく叫んで、
2:王の門の入口まで行った。荒布をまとっては王の門の内にはいることができないからである。
3:すべて王の命令と詔をうけ取った各州ではユダヤ人のうちに大いなる悲しみがあり、断食、嘆き、叫びが起り、また荒布をまとい、灰の上に座する者が多かった。
4:エステルの侍女たちおよび侍従たちがきて、この事を告げたので、王妃は非常に悲しみ、モルデカイに着物を贈り、それを着せて、荒布を脱がせようとしたが受けなかった。
5:そこでエステルは王の侍従のひとりで、王が自分にはべらせたハタクを召し、モルデカイのもとへ行って、それは何事であるか、何ゆえであるかを尋ねて来るようにと命じた。
6:ハタクは出て、王の門の前にある町の広場にいるモルデカイのもとへ行くと、
7:モルデカイは自分の身に起ったすべての事を彼に告げ、かつハマンがユダヤ人を滅ぼすことのために王の金庫に量り入れると約束した銀の正確な額を告げた。

金 言  
「あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために断食してください。三日のあいだ夜も昼も食い飲みしてはなりません。わたしとわたしの侍女たちも同様に断食しましょう。そしてわたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。(エステル4:16)
 今日は一人の女性の人生と彼女の祈りを黙想したいと思います。クリスチャンは祈らなければならないと認識はしていてもなかなか祈れないものです。しかし、命に関わる問題には誰でも真剣に祈れるようになります。今日の箇所に出てくるエステルの生涯を一言で言うと波瀾万丈です。その意味は「変化がきわめて激しく、劇的であるさま」です。
1.他人によって決められた波瀾万丈
 1)波瀾万丈の家系で出生
 2)波瀾万丈の国で成長
 3)波瀾万丈の家族の中で教育
 4)波瀾万丈の人と結婚
 他人の過ちが自分の人生に悪い影響をもたらしたとき、ちょっと悔しいです。そのような環境で暮らしている人の祈りは悔しさと嘆きの祈りが多いです。エステルの時代の人々には全てを失った嘆きの祈りが主でした。しかし、同じ環境で暮らしていたエステルは健全な信仰に基づいた祈りの人でした。私たちは感謝の祈りが多いですか?嘆きの祈りが多いですか?
2.本人の選択が招いた結果としての波瀾万丈
 四章でエステルは最も大事な信仰の選択をすることになりました。彼女を実の娘のように育ててくれた親のようなモルデカイが大きな危機に直面しました。ユダヤ族全体が大危機に直面しました。モルデカイとユダヤ族を助けるために命をかけて、法律を違反しても、王に会うべきなのか?彼女一人だけ生き残るために知らん振りするべきなのか?彼女は悩みました。エステルはこの瞬間、命を失う覚悟で偉大なる信仰の選択をしました。この信仰の選択で彼女は波瀾万丈の生涯を覚悟しなければなりません。誰でも極端な選択はしたくありませんが、聖書の神様を認めない社会に暮らしているクリスチャンには仕方なくて極端な選択をせざるを得ない時があります。信仰の選択をするか?妥協するか?選ばざるを得ない時があります。信仰の選択が招く激しい変化に立ち向かうために出来ることは何でしょうか?厳しい環境でクリスチャンが出来る方法は祈りしかありません。このときの祈りは単純です。「神様、助けて下さい!」
3.波瀾万丈の道を祝福に替えた祈り
 エステルを含めて大勢のユダヤ人は三日間食べず、飲まず祈りました。彼らは命をかけた祈りを捧げました。どうせ死が待っている人の最後の決断でした。断食の祈りは弱い人間が偉大なる神様を体験することが出来る重要な手段です。断食の祈りは人間の弱さと神様の偉大さを同時に体験するものです。彼らの祈りは波瀾万丈の道を祝福の道に替えました。
 皆様の人生はいかがでしたか?平凡な道でしたら神様に感謝しましょう。平凡な道には神様の安らぎがあります。波瀾万丈のみちでしたか?波瀾万丈の道でさえ良い面はあります。数多い苦労はありますが、その時こそ、神様の救いの手が鮮明に見える瞬間です。私たちの人生の道のりがこれからどうなるか?分かりませんが、主にゆだねて歩みましょう。