聖 書  マタイ28:16~20、ヨハネ13:34~35
28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。
28:17 そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。
28:18 イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
28:19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
28:20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

13:34 わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
13:35 互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。

金 言
「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。互に愛し合うならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」。(ヨハネ13: 34~35)

本日は2016年の最初の新年礼拝です。宣教が教会を起点として開始された動機付け(モチベーション)は、マタイ福音書の最後に記された宣教命令です。イエスの宣教はイザヤの預言の成就としてガリラヤから開始され(マタイ4:14~16)、復活後のイエスは再びユダ以外の11弟子たちをガリラヤに招集して、同じ地で世界宣教を命じました。今私たちは教会のビジョンを考えています。今週と来週はすべての教会創立の原点のみことばに立ち返って、宣教命令にある「すべての国民を弟子として」(マタイ28:19)について考えたい。イエスは弟子たちに互に愛し合うならば、すべての人が「彼らこそ正真正銘のイエスの弟子だ」と認めるであろうと励ましている。今朝は互いに愛し合うためのキーワードとして3つの愛の形を提唱します。

1.与え「愛」

私たちはイエスの弟子になるために互いに愛し合うことを命じられています。「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」と言われました。このイエスの愛を知るために聖書に学ぶことです。愛については特に第一コリント13章やヨハネ第一の手紙が有名ですが、今日は福音書からイエスの愛を学びます。互いに愛し合うことの最初は与え「愛」です。マタイ7:12には「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」という有名なみことばがあります。これは黄金律(ゴールデンルール)と言われ国語辞典にも載っていますが、これはクリスチャンにとっては社交辞令や道徳律ではありません。互いに愛し合うための知恵のみことばです。私たちは与える「愛」のすばらしさを、十字架による愛によって知りました(Ⅰヨハネ3:16)。イエスによって神から愛を余すところなく受けた者は、惜しみなく自分を与えて他者を愛することで、本物のイエスの弟子とされたい。

2.ゆるし「愛」

互いに愛し合うことの2番目は、ゆるし「愛」です。ルカ7:36~50にはパリサイ人の家に罪の女がやってきて、泣きながらイエスの足に香油を塗ります。これを見た家の主人は彼女を汚れた女としてさばき、女のさせるままにしたイエスをとがめますが、イエスは「この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」(47)と教えます。私たちは自分が主からどれほど大きな赦しの愛をいただいたので救われたかを思い起こすべきです。自分の罪深さに比較して神様の赦しの愛がどれほど大きいかを知ったなら、だれでもこの女性のように感涙に絶えなません。あなたがもし誰かをゆるせないという思いを捨てられないなら、神様の自分に対する赦しの愛をまだ過小評価しているのかもしれません。この女性のように神に赦された愛を知る者として、自らはまわりの人を分け隔てなく愛する愛を持ちたい。

3.助け「愛」

最後は助け「愛」です。マルコ2:1~12には、中風で動けない人を癒してもらうためにイエスのもとに4人がかりで運んできます。大勢の人々に妨げられて家の入り口から入ることができないと知ると、彼らは病人を屋上に担ぎ上げて屋根をはがして彼を寝かせたままで釣り下ろします。イエスならこの人を必ず癒してくださると信じた4人は愛の労苦を惜しみません。「イエスは彼らの信仰を見て」(5)、中風の人を元気な姿にさせます。この話から私たちが一人で示せる愛はわずかであっても、教会の兄弟姉妹が互いに協力して一緒に働けば、より大きな愛を生み出すことができることがわかります。私たちはイエスの愛に生きる信仰共同体・イエスの有機的なからだなる教会の一員です。だからこそ助け「愛」によって我々がイエスの弟子であること人々に認めてもらうことができます。