コロサイ人への手紙3章1節~4節

(1)このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。(2)あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。(3)あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。(4)わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

ヨハネ福音書3章16節には、キリストの来臨の目的として「御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」と明確に記されている。つまり聖書の最大のテーマは「命」である事が良くわかる。テキストは「キリスト者の命」について何と教えているか。
Ⅰ 新しい命
 第一は「キリストと共によみがえった命」である。主イエスはニコデモに対して「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3:3)と言われた。「新しく生まれる」とは「霊の誕生」を意味している。つまり人は肉体をもって誕生するが、本来の人間性である霊魂は、アダム以来罪によって死んだものとなっているので、キリストによって新しくされなければ、本来の人間性を回復することが出来ない。パウロは「あなたがたはバプテスマを受けて彼と共に葬られ、同時に、彼を死人の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、彼と共によみがえらされたのである」(コロサイ2:12)と言っている通りである。自らの罪を悔い改め、キリストを救い主と信じた者には、新しい命が与えられているのである。
Ⅱ 神の命
 第二は「キリストと共に神のうちに隠されている命」である。「隠されている」とは、「守られる、保護される」という意味である。しかも「神のうちに」であるから、「神の命」であると言っても良い。この世において様々な困難や誘惑に出会う事はキリスト者も例外ではない。幸いなことにキリスト者の命はキリストと神の二重の防壁によって「ひとみのように」(申命32:10)、「神の御力に」(Ⅰペテロ1:5)、「まどろむことなく」(詩121:4)、「神の平安」(ピリピ4:7)のうちに、「御名によって」(ヨハネ17:12)、「聖霊によって」(Ⅱテモテ1:14)、「かの日に至るまで」(Ⅱテモテ1:12)守られているのである。
Ⅲ 永遠の命
 第三は「キリストと共に栄光のうちに現れる命」である。キリストはやがて再臨される。その時キリスト者は天に迎えられ、永遠に神と共に過ごす。そこには「死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(黙21:4)のである。
 このような素晴らしい命を与えられた者としての自覚を持って日々感謝に満ちた生活を送りたいものである。

申命記32:10
主はこれを荒野の地で見いだし、/獣のほえる荒れ地で会い、/これを巡り囲んでいたわり、/目のひとみのように守られた。

ペテロへの第一の手紙1:5
あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。

詩篇121:4
見よ、イスラエルを守る者は/まどろむこともなく、眠ることもない。

ピリピ人への手紙4:7
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

ヨハネによる福音書17:12
わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。

テモテへの第二の手紙1:14
そして、あなたにゆだねられている尊いものを、わたしたちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。

テモテへの第二の手紙1:12
そのためにまた、わたしはこのような苦しみを受けているが、それを恥としない。なぜなら、わたしは自分の信じてきたかたを知っており、またそのかたは、わたしにゆだねられているものを、かの日に至るまで守って下さることができると、確信しているからである。