聖 書:エペソ1章18節~19節  

(18) あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、(19) また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。

 人間には体と心がある。体は目に見えるが、心は目に見えない。しかし、目に見えない心は体のある部分と直接つながっている。その部分が耳と口と目である。この三つは心の入り口である。心で何かを判断するときこの三つから入ってきた情報によって物事を決める。この三つを聖なるところに使えば私達は清い生活が出来る。しかし、悪のところに使えば清い生活は出来ない。今日はきよい生活の為の目の役割を中心にみことばを見たい。パウロはエペソの信者の為に「心の目を明らかにして下さい」と祈ったが、どうすれば心の目が明らかになるのだろう?心の目が明らかになることと目の働きに関して考えよう。
1.目から入る情報に注意しよう。
 現代は目に依存している時代だと言っても過言ではない。目を通して多くの情報が心に入る。学校の教育で、教会学校で、礼拝でも絵と映像を利用する。人々は目を通して入ってきた情報に基づいて判断する。目に見えるものだけを信じる。目に見えないものは信じない。しかし、目だけ頼りにして物事を決めることは非常に危ない。なぜなら人間の目は騙されやすいものだからである。人間の目は真実を見極める能力が足りない。アダム以来、全人類は治らない目の病気を持っている。神様の正しい真理は見えなくてなって、偽りのものは真理のように見える病気である。偽りのものが真理のように見えて失敗した人がいる。
1)アダムとエバ、2)ロト、3)賄賂、4)憎しみは目を暗くする。
この世の悪がどんどん目の中に入ると、神様の聖なる物が見えなくなって、心の目がどんどん暗くなる。私達は悪のものは目に入れないように努力しよう。ヨブのように(ヨブ31:1)。この世のものばかり見続けると私達の心の目は暗くなり、エペソ1:18a―19の三つの霊的なものがわからなくなる。映像の時代だから映像のパワーを無視することは出来ないが、見るなら良い物を見よう。
2.涙を流してみよう。
 目の働きは情報を受け入れる入り口だけではない。感情を外に表す仕事もする。それが涙である。人は涙を流すことによって感情をコントロールする。涙がないと心が石のように堅くなる。心が石のように堅くなることは深刻な霊的病である。今の時代の私達には涙が必要である。魂の麗しさの為に、感情のコントロールの為に、現在の試練を乗り越えるために。神様はいつかクリスチャンの涙をぬぐい取って下さる。黙示録7:17、21:4。神はその民に聖なる涙の時間を与える。その時間は祈りの時間でもある。神様は信徒の涙の祈りによって素晴らしいみわざを行われる。聖書に書いてある偉大なる信仰者は涙の祈りを捧げた。彼らは涙を流すことにより、ひたすら神様を見続けた。その結果、彼らの信仰の目は明らかになった。
 
 心の目が開かれるように祈ろう。また、目から入るものに注意しよう。涙がある柔らかい心になるように努めよう。