聖 書:創世記 28章10節~22節

(10)さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、(11) 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。(12) 時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。(13) そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。(14) あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。(15) わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。(16) ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。(17) そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。(18)ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、(19) その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。(20) ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、(21)安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。(22) またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。

 三浦綾子は1959年1月25日、三浦光世氏と旭川の教会で婚約式を挙げました。その日のことについて「道ありき」の中で次のように書いています。「全くふしぎな天候の日であった。旭川には珍しいひどい風で、雪が横なぐりに吹きつけた。と、見る間に、その雪は雨になり、また霰に変わった。何か、二人の前途の多難さを思わせるような、悪天候だった。しかし、ふと空を見上げて驚いた。なんとふしぎなことであろう。下界は風と雪と、雨と霰という複雑な天候なのに、太陽が広い雲間に、さんと輝いているのだ。・・・しかしどんな悪天候の日であっても、その黒雲の上には必ず太陽が輝いているのだ。雲はやがて去るだろう。だが太陽は去ることはない」(P.299)。
Ⅰ.枕とした石(ヤコブの夢)10~15 
ヤコブは兄エサウの憎しみから逃れて、遠く母リベカの故郷ハランに旅立つことになりました。それは悔恨の情にかられる淋しい旅でした。旅路の途中で彼は石を枕にして野宿しました。人生にとって睡眠は大切なものです。枕が変わると寝付けないという人も多くいます。「石」はヤコブの追いつめられた最低限の生活を象徴しているように見えます。そうした状況にあるヤコブに神は目を止められ、夢を通してご自身を現されました。その夢とは、「一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしている」(12)ものでした。この夢は、神と人との交わりの必要性と可能性を意味していました。有名なベテル(神の家)の話です。
Ⅱ.主の臨在の石(ヤコブの信仰)16~17 
夢の中で神はヤコブに「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」(15)と語られました。そこで目を覚ましたヤコブは「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった・・・これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」(16-17)と叫びました。聖書には夢を通して神が啓示されるという話は幾つもあります。夢を信じるか信じないかはその人の自由でしょうが、ヤコブはこの「石」の場所で神を信じ、神の臨在を体験したのです。ここはヤコブの初めての神との交わり、神体験と言うべき個所と言えます。
Ⅲ.神の家とした石(ヤコブの誓い)18~22
ヤコブは「まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、その所の名をベテルと名づけた」(18)。そして彼は「安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。・・この石を神の家といたしましょう。・・すべての物の十分の一を・・あなたにささげます」(21-22)と誓いました。ヤコブはこの「石」を神の臨在の場所とし、神の家とし、十一献金を献げる信仰の決意を表明しました。
これまでは悲嘆にくれ、悔恨の情にかられていた旅路でしたが、ベテルにおける神との出会い、神との交わりの体験を通して、彼の人生は大きく希望に満ちたものへと変わって行ったのです。
 神はいつもあなたと交わることを望んでおられます。ですから主の臨在を信じ、主にお従いして行くところにあなたの勝利の人生は開かれるのです。