聖 書:ヘブル13章1節~8節

(1)兄弟愛を続けなさい。(2) 旅人をもてなすことを忘れてはならない。このようにして、ある人々は、気づかないで御使たちをもてなした。(3) 獄につながれている人たちを、自分も一緒につながれている心持で思いやりなさい。また、自分も同じ肉体にある者だから、苦しめられている人たちのことを、心にとめなさい。(4) すべての人は、結婚を重んずべきである。また寝床を汚してはならない。神は、不品行な者や姦淫をする者をさばかれる。(5) 金銭を愛することをしないで、自分の持っているもので満足しなさい。主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。(6) だから、わたしたちは、はばからずに言おう、「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか」。(7) 神の言をあなたがたに語った指導者たちのことを、いつも思い起しなさい。彼らの生活の最後を見て、その信仰にならいなさい。(8) イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。

今年もいよいよ最後の聖日礼拝となりました。特に今年は教会創立50周年という記念すべき年でしたので、一入感慨深いものがあります。4月6日の斎藤亘委員長を迎えての創立記念礼拝に始まり、5月の小岩裕一先生による特別礼拝と集会、7月の森英樹先生による中田師、森山師記念聖日礼拝と特別集会、9月の横田武幸先生による軽井沢恵みシャレーにおける教会キャンプ、同じく9月には大塚篤先生による特別伝道礼拝と伝道集会、11月の藤森牧男先生による特別礼拝と集会、12月の第41回メサイア公演などなど盛り沢山な行事を一つ一つ感謝のうちに終えさせて頂きました。ここまで導いて下さった主に心から感謝し、一切の栄光を主にお帰しし、主の御名を心から賛美いたします。
 今日のテキストの中心的な言葉は「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」(8)です。50周年という歴史は決して短いものではありません。メサイア公演が一つの教会で41年にわたって継続されてきたと言うことは、まことに驚くべきことです。しかし冷静に考えればそれさえも一つの通過点に過ぎません。聖書は「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る」と教え、また「しかし、主の言葉は、とこしえに残る」(Ⅰペテロ1:24-25a)と教えています。黙示録に「今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかた(者)」(1:4,8,4:8)という言葉が3度も出てきます。また「わたしはアルパであり、オメガである」(1:8,21:6,22:13)に3度も出てきます。
 私はこのような時空を越えた言葉が大好きです。こうしたお言葉に触れると大きな安心と慰め、そして落ち着きと生きる勇気が与えられます。私たちは小さな弱い存在ですが、いつまでも変わらないお方の臨在に触れ、交わり、お言葉を頂く事ができると言うことは何という有り難いことでしょうか。
 こうしたすばらしい人生を送るためには次の三つの心得が必要です。
  
Ⅰ.兄弟愛を続けること (1~3)
 「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』(ルカ10:27)。
これは律法を要約した言葉です。主イエスは「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と言われました。
Ⅱ.自分の持っているもので満足すること (4~6)
性的なこと、金銭的なことにおいて貪欲であってはいけなせん。自分の持っているもので満足することが大切です。
Ⅲ.指導者の信仰に倣うこと (7~8)
指導者については7節、17節、24節に言及されています。7節は過去の人、歴史上の人のことですが、それ以外は現在の人を指しています。つまり過去の人であれ、現在の人であれ、指導者に従い、指導者の言葉や生活に倣うことが大切であると教えているのです。個性的であることはすばらしいことですが、更に大切なことは主の言葉、主の教えに従うことです。
1年最後の聖日礼拝です。移り行くものをあてにするのではなく、いつも変わらないお方に目を向け、その方のみ旨をあてにする者とならせて頂きましょう。