聖 書:Ⅰコリント15:20、35~55
15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。
(35) しかし、ある人は言うだろう。「どんなふうにして、死人がよみがえるのか。どんなからだをして来るのか」。(36) おろかな人である。あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。(37) また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。麦であっても、ほかの種であっても、ただの種粒にすぎない。(38) ところが、神はみこころのままに、これにからだを与え、その一つ一つの種にそれぞれのからだをお与えになる。(39) すべての肉が、同じ肉なのではない。人の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。(40) 天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている。(41) 日の栄光があり、月の栄光があり、星の栄光がある。また、この星とあの星との間に、栄光の差がある。(42) 死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、(43) 卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、(44) 肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。(45) 聖書に「最初の人アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。(46) 最初にあったのは、霊のものではなく肉のものであって、その後に霊のものが来るのである。(47) 第一の人は地から出て土に属し、第二の人は天から来る。(48) この土に属する人に、土に属している人々は等しく、この天に属する人に、天に属している人々は等しいのである。(49) すなわち、わたしたちは、土に属している形をとっているのと同様に、また天に属している形をとるであろう。(50) 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。(51) ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。(52) というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。(53) なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。(54) この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。(55) 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

 聖書の教えは「福音・良い知らせ」と呼ばれています。その内容は「義認・聖化・栄化」です。「義認とは義と認められること、聖化とは聖(きよ)く化せられること、栄化とは栄光のからだに化せられること」です。
Ⅰ.キリスト者の栄化の基盤 (20)
コリント第一の手紙の15章は「復活の章」と呼ばれています。特に20節以下においてはキリスト者の復活について記されています。人は「霊と心とからだ」(Ⅰテサロニケ5:23)から成り立っています。聖書は「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る」(伝道の書12:7)と教えています。つまり聖書の教えは「霊魂不滅」なのです。大切なことは、永遠をどこで過ごすかという問題です。栄化とは「栄光のからだに化せられること」であると言いましたが、「栄光のからだ」と言う概念は「肉のからだ」に対応するものです。キリスト者の未来は、この地上の粗末なからだを脱ぎ捨てて、新しい栄光に輝くからだに化せられるのです。その基盤は「しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである」(20)にあるのです。
Ⅱ.キリスト者の栄化の類例 (35~41)
聖書は自然界の類例を通してキリスト者の栄化の確実性を述べています。まずは植物における「種とからだ」の関係です。「あなたのまくものは、死ななければ、生かされないではないか。また、あなたのまくものは、やがて成るべきからだをまくのではない」(36-37)と説明しています。それぞれの種に相応しいからだを神は与えられます。次に動物界における「肉」の違いに触れています。「天に属するからだもあれば、地に属するからだもある。天に属するものの栄光は、地に属するものの栄光と違っている」(40)のです。更に天体における「栄光」の違いに触れています。「日、月、星」などの間にはその現す輝きが異なっています。このような類例を通して、キリスト者が死後において受ける「栄光のからだ」の確実性について教えているのです。
Ⅲ.キリスト者の栄化の実際 (42~55)
1.朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
2.卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、
3.弱いものでまかれ、強いものによみがえり、
4.肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえる。
聖書は「肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない」(50)と教えています。主の再臨の際、キリスト者は「朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられる」(52)です。ここにキリスト者の希望があるのです。