聖 書:ヨハネ黙示録22:1~5

(1)御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、(2) 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。(3) のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、(4) 御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。(5) 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

 新しいエルサレムは新しい天と地の首都であり、聖都です。聖書は「夫のために着飾った花嫁のよう」(21:2)であり、「小羊の妻なる花嫁」(21:9)であると説明しています。これは贖われた教会の姿であり、天国における中心的な場所であり、状態なのです。
 先回(21:9~27)は、その都の輝きの素晴らしさ、城壁や城門の構造や土台の素晴らしさ、神と小羊が聖所であり、小羊が都のあかりであること、などについて知ることが出来ました。簡潔に言えば、天国とはこの世では想像することが出来ないほどの素晴らしいところである、と言うことです。本日はその続きです。
Ⅰ.いのちの水の川 (1a)
 世界の四大文明と言われるエジプト文明はナイル川、チグリス文明はチグリス川とユーフラテス川、インダス文明はインダス川、黄河文明は黄河の流域に栄えました。創世記には「また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである」(2:10-14)と記載されています。現在の世界の主要都市も多くは河川流域にあります。天国にもまた川が流れています。それは「水晶のように輝いているいのちの水の川」(1)です。
Ⅱ.いのちの水の川の流域 (1b~3a)
 「この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている」(1b-2a)のです。四大河川の流域には四大文明が発達しましたが、いのちの水の川の流域には「いのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。のろわるべきものは、もはや何ひとつない」(2b-3a)のです。何という素晴らしい光景でしょうか。これは決して天国の状態であるだけでなく、現実の生活においてもその前味を味わうことが出来るのです。主イエスは「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる」(ヨハネ15:5a)と言われました。
Ⅲ.いのちの水の川の生活 (3b~5) 
天国での生活はどのようなものなのでしょうか。聖書には「神と小羊」(3)を礼拝し、「み顔を仰ぎ見る」(4)と記されています。天国住民の「額には、御名がしるされている」(4)のです。聖書には「主は自分の者たちを知る」(Ⅱテモテ2:19)と記されています。天国には「夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない」(5a)のです。なぜなら、「主なる神が彼らを照し」て下さるからです。「そして、彼らは世々限りなく支配する」(5b)のです。
 目下、冬のオリンピックの真っ最中です。選手たちは目標(ゴール)を目指して励んでいます。私たちも人生のゴール(天国)をしっかり見つめさせていただきましょう。そこに究極の希望が存在するのです。