聖 書  エペソ3:14~21

14:こういうわけで、わたしはひざをかがめて、
15:天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。
16:どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、
17:また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、
18:すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、
19:また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。
20:どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、
21:教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。

金 言
「信仰によって、キリストがあなた方の心のうちに住み」   (エペソ3:17)
 
 エペソ教会の信徒に対するパウロの祈りを、私たち一人一人の祈りとして、自分の身になるように祈らせていただきましょう。
1.内なる人を強くしてくださるように(16節)
 どうすれば、「内なる人」、つまり心が強くなるのでしょうか?2月7日のローマ人への手紙5章からのメッセージを思いだしてください。「患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。」(3節)とあります。わたしたちは、いろんな試練に遭う中で、それに耐える力が与えられ、弱い心も強められていくわけです。神様は、その人に耐えられる試練を与えて、信仰を強めてくださるということです。
今ちょうど冬季オリンピックの最中ですが、選手たちにはそれぞれコーチがついていて、選手の個性や実力を見極めた上で、ちょうどよい負荷のトレーニングをさせることによって、新たな力を引き出しています。そのコーチのように、わたしたちは「御霊によって」(16節)強められていきます。聖霊はわたしたちを助け、励ましてくださるお方です。わたしたちの内なる人がさらに強められるように祈りましょう。
2.キリストが心のうちに住むように(17節)
 先週のガラテヤ2章のメッセージを思いだしてください。教会学校では、渋柿と甘柿のたとえ話をしました。渋柿の枝を切り取って、甘柿の枝を接ぎ木すると、甘い実が成ります。古い自分が死んで、キリストにつながるときに、わたしたちの生活は変わります。それではどうやって死ねばいいのでしょうか。「わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストがわたしのうちに生きておられるのである」(ガラテヤ2:19、20)と、み言葉にあるように、イエス様と共に古い自分も十字架にかかってそこで死んだことを「信仰によって」(エペソ3:17)認めることです。「わたしの心の内に、イエス様どうぞ住んでください」と祈りましょう。
3.キリストの愛を知って、満たされるように(19節)
 イエス様をお迎えした心の中で、まだ自分(自我)が支配していては何も変わりません。キリストを信じて、心の中に入ってくださっても、心の王座は譲らないという人がいます。聖書は「肉の人」と呼んでいます。神の愛の広さ、長さ、高さ、深さ、そして人知をはるかに越えたキリストの愛を知る時、わたしたちの心が愛で満たされていきます。そのとき、肉の思いは押しやられ、キリストの心を心とし、イエス様のように生きたいと願うにように変えられていきます。心の王座をキリストにゆずって、自分の心を支配していただきましょう。キリストの愛が心の隅々にまで及んで、その愛に満たされて、愛に根ざした生活ができるように祈りましょう。
 わたしなんてとても無理と思っている方もおられるでしょう。でも、安心してください。祈るのは私たちですが、それを聞いて実現なさるのは神様です。神様は「わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかた」(20節)です。この方に期待して、わたしたちの内なる人が強められ、キリストが心の内に住み、キリストの愛で心が満たされ、愛の生活をしていく事ができるように祈って励みましょう。