聖 書: ヨシュア記1章1節~9節

(1) 主のしもべモーセが死んだ後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた、
(2) 「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。
(3) あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。
(4) あなたがたの領域は、荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテからヘテびとの全地にわたり、日の入る方の大海に達するであろう。
(5) あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。
(6) 強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。
(7) ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。
(8) この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。
(9) わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。

 イスラエル民族は約束の地を目前にしてモーセの死という危機を迎えました。そうし
た苦境の中で神はヨシュアに「今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい」(2)と命じると共に、「あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう」(3)と約束されたのです。
 私たちの教会は2012年度において新会堂建築に着手するというビジョンを抱いてこれまで祈り、備えてきました。本日は2012年の最初の聖日(元旦)礼拝です。神は危機に直面しているヨシュアに対してどのような激励と約束をしておられるのでしょうか。
1.危機は新しい出発の好機
 個人的にも団体的にも私たちは様々な危機に出会います。野球などではピンチの裏はチャンスであると言われます。また人の実力は危機をいかにして好機に変えるかにあるとも言われます。聖書に登場するヨブは〈苦難の人〉としてよく知られた人物です。「彼に男の子七人と女の子三人があり、その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった」(ヨブ1:2-3)のです。ところがある日彼は異国人の襲撃に遭い、持ち物も
家族も皆失うという悲劇に遭遇します。しかし彼はそうした危機の最中にあっても「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(ヨブ1:20)と神を呪うことはしなかったのです。その結果、「主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された」(ヨブ42:10)のでした。
2.主の激励
 イスラエル民族にしても、ヨシュアにしてもモーセの死は大きな危機でした。しかし、神はこの危機を好機とするためにヨシュアを激励されたのです。ここに「強く、また雄々しくあれ」(6,7,9)という激励の言葉と命令とが記されています。
 1.「強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を得させなければならない」(6)
 2.「ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである」(7)。
 3.「強く、また雄々しくあれ。…恐れてはならない、おののいてはならない」(9)。
 以上のような激励と命令を与えられた神は、「そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう」(8b)と約束しておられます。
3.臨在の約束
 神は単に言葉だけではなく、実質の伴った臨在をもって激励して下さるのです。
 1.「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう」(5)。
2.「わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない」(5)。
 3.「あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられる」(9)。 
 ウエスレーは臨終に際して「我にとりて最も良きことは、神共にいますことなり」と
言われました。聖書の神は〈遠くにいます神〉ではなく、〈いつも共にいまし、内にいます神〉なのです。 
恵まれたキリスト者生涯の秘訣は〈神と共に歩む〉ことです。〈神のみ顔を拝するところ、神のみ声の聞こえるところ〉で生活することです。