聖 書:ルカによる福音書15章11~20節
15:11 また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。
15:12 ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。
15:13 それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。
15:14 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。
15:15 そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。
15:16 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
15:17 そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。
15:18 立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。
15:19 もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。
15:20 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。

Ⅰ.父なる神様は、全ての人に救われて欲しい、愛する人間たちが、みんな最後は天国に帰ってきて欲しい、と切に願っておられます。私は早めに救われましたが、人生の最後ギリギリに救われる人もあります。今年、鎌倉の教会でそういう方が二人ありました。その事を紹介しながら、御言を分ち合いたいと思います。

Ⅱ.お一人は60代の男性でした。結婚もなさらず、仕事に忙しい人生を送ってこられたけれども、ガンになられ、もう末期という時、いつも病院に車で運んでくれる福祉関係の人がクリスチャンで、その人が永遠の命の確信を持っておられる事を聞きました。非常に興味を持ち、やがて牧師とも話すうち、信仰を持たれ、間もなく天に召されて行きました。
もう一人は70代の女性で、信徒のお母様ですが、いつも福岡から孫に会いに娘さんの所に来て、数日滞在して帰るのです。ところが今度はどうも体調が悪く1年ほど入退院を繰返しました。でも、そのお陰で孫の洗礼式に出れたり、何人ものクリスチャンにお見舞いされたり。何より娘と孫がいつもお婆ちゃんの救いを祈っていました。ある時、病床には信仰を告白したメモがありました。やがてこの方も平安の内に天に召されて行かれました。今思えば、神様はこの二人の方に、人生の最後に「わたしの事を知りなさい。わたしの元に帰って来なさい」と語っておられたのだと思います。

Ⅲ.そのように、父なる神様は全ての人に「わたしの元に帰って来なさい!」と叫んでおられるのです。 今日の「放蕩息子」の例え話で、父親の元を離れ、自分の好きなように生きて来た息子は、人生と心を浪費してボロボロになり、死にそうになった時、ついに我に帰って、父の元に帰ろうと決意します。すると息子の帰りを毎日待ちわびていた父親は、遠くの方に息子の姿を見つけると、父親の方から駆け寄って、息子を抱きしめたというのです! これが父なる神様の思いです。神様は今も、全ての人に「帰って来なさい」と叫んでおられるのです。