聖書:ヨシュア記21:43~45
21:43 主は、イスラエルの父祖たちに与えると誓った地をすべて、イスラエルに与えられた。彼らはそれを占領し、そこに住んだ。
21:44 主は、彼らの父祖たちに誓ったように、周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。すべての敵の中にも、一人として彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。主はすべての敵を彼らの手に渡された。
21:45 主がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。
聖書各巻の緒論は第六回となった。最初の区分に当たるトーラー・律法の書・モーセ五書が終わった。ユダヤ人の考え方では最初の五巻がトーラー・律法の書で、六巻目のヨシュア記からはネビーム・預言書になる。ユダヤ人の伝承では配列がかなり違っている(前の預言書、後の預言書の区分がある)。私たちの旧約聖書の配列は70人訳聖書(B.C1世紀頃には成立。ギリシャ語訳旧約聖書)からラテン系の写本に引き継がれてきている。
Ⅰ.基本的なことがら
著者:ヨシュアの時代、ヨシュアの事績について記されているが著者はヨシュアと断定できない。ヨシュアの読み方は4通りあり、「ヌンの子ホセア」(民数記13:8他)ともある。名前の意味は「主は救い」、新約のギリシャ語に置き換えるとイエスゥスになる。
執筆年代:考古学的な研究からもA.D13世紀頃、カナンの諸都市は外部からの攻撃を受けて滅ぼされた事実が明らかになっている。カナン征服から間もなく執筆されている。
大区分:1~12章カナンの占領ヨルダン渡河エリコ陥落
アイでの失敗その後の戦役
13~24章領土分割(ヨルダン東岸を含む)逃れの町(6か所)レビ人の町(48か所)ヨシュアの晩年
Ⅱ.基本的なメッセージ:「信仰と不信仰、従順と不従順」
神様はカナンの地を征服するために大いなる業をなされた。次世代のイスラエルの民はヨルダン渡河、エリコの征服から神様が働かれ、戦われるならば人知を超えた神様の業を見ることを知った。アイ攻略の失敗(7章)、ギブオン人との盟約(9章)は神様から目を離し、人間的な判断に頼って失敗している。神様の言葉への信仰を持ち、勇気をもって、従順に従うことは勝利と祝福を得る。信仰を求めず、怖気づき、不従順であるなら敗北し、苦い経験となる。余りに対照的な結果がある。
Ⅲ.基本的なメッセージ:「滅ぼし尽くすことの意味」21:43~45
聖書箇所ではカナン占領は、神様の完全な勝利、約束の成就と語っている。神様はイスラエルの民へ約束を果たされたが、イスラエルの民はどうなのか。次の士師記1:1~3:6には、カナンを占領し尽くしていない。この後も戦闘が続き、追い払わなかったカナン人がイスラエルの民と共存し、民が偶像に仕えたことが出てくる。イスラエルの民の従順は不徹底であった。ヨシュア記を中心に「聖絶」(へーレム、新改訳翻訳委員会の造語)が出てくる。愛である神様が何と残虐なことをと誰もが思う。カナン人は悪く汚れた偶像宗教を持っていた。イスラエルの民に少量でも害を与え、取り除かなければならなかった。イスラエルの民がこれらを滅ぼし尽くさなかった士師記以降の結果は残念である。神様はイスラエルの民の不徹底を予見された上で、聖絶を強く言われたとも言えよう。またイスラエルの民に対して信仰的な命令として語られた。
時を越えて私たちに語られているのは信仰と従順である。わずかなパン種が生地全体をふくらます(コリント第一5:6~8)。目に見える悪は取り除き、自らを神に喜ばれるささげ物とする(ローマ12:1)。