御国が近づいている③

聖書:マタイ16:13~20

16:13 さて、ピリポ・カイサリアの地方に行かれたとき、イエスは弟子たちに「人々は人の子をだれだと言っていますか」とお尋ねになった。
16:14 彼らは言った。「バプテスマのヨハネだと言う人たちも、エリヤだと言う人たちもいます。またほかの人たちはエレミヤだとか、預言者の一人だとか言っています。」
16:15 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16:16 シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
16:17 すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。
16:18 そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
16:19 わたしはあなたに天の御国の鍵を与えます。あなたが地上でつなぐことは天においてもつながれ、あなたが地上で解くことは天においても解かれます。」
16:20 そのときイエスは弟子たちに、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と命じられた。

2023年を迎えて早1月を過ごした。終末を覚える時代に私たちが神様とつながり、永遠の御国の内にあることを覚えるのは重要である。私たちが揺り動かされることなく、必要とされることを果たす力となる。

Ⅰ.神様からの権威
ペテロの信仰告白とイエス様が教会について語られた有名な記事になる。ここには神様から与えられる権威が記されている「あなたに天の御国の鍵を与えます」
(19節)。イエス様は弟子たちに天からの権威を授けられた。代表的なものは、
1)この世に遣わす宣教:12弟子の派遣(マタイ10:5~42他)、72人の派遣(ルカ10:1~16)。2)この世からの聖別:最後の晩餐の席上での説教・祈り、ヨハネ14~17章。「真理によって彼らを聖別してください。」(ヨハネ17:17)。
3)この世に教会を建てる:ペテロの信仰告白から語られた(18節)。これらの権威は正しい信仰によって今も受け継がれている。

Ⅱ.神様にある告白
イエス様は弟子たちを隣国のピリポ・カイサリアに連れて行かれた。群衆や敵対者から離れて弟子たちに神様の真理を示すためであった(16:21)。イエス様は最初に人々がイエス様をどう捉えているのかを聞かれた。次にあなたがたはどう思うのかを尋ねられた。私たち生きる者全てに問われる問いであり、一人一人が神様の前に真実に答える必要がある。ペテロの答えは満点であった「あなたは生ける神の子キリストです。」(16節)。ペテロは素直で正直な性格であるが、自分の思いや力で失敗を犯しやすい(嵐のガリラヤ湖上で、変貌山で、大祭司の中庭で)。ペテロが正答できたのは彼自身によるのではなく神様から与えられたからである(17節)。聖霊による告白(コリント第一12:3)であり、イエス様と結び合わされることによる知恵である(コロサイ2:3)。

Ⅲ.神様の御国とつながる教会
イエス様はこの岩の上に教会を建てると言われた(18節)。岩の意味に関して、ペテロ(石)、岩(ペトラ)をどう捉えるかでカトリック教会とプロテスタント教会とに大きな違いがある。カトリックはペテロと岩を結び付け、さらにローマ教会の初代監督がペテロであり初代のローマ教皇とする。プロテスタントはペテロとペトラは別語であり、岩とはペテロの信仰告白、或いはイエス様ご自身とする。両論に分かれるが、是非ではなくお互いの違いを認めることも大切である。イエス様はペテロの信仰告白を喜ばれ、主キリストへの告白が教会の基となることを語られた。教会はエクレシアというギリシャ語であり「呼び出された者」の意である。エクレシアに対応するヘブル語はカハルであり「神の民全体の集まり」の意である。イエス様を救い主と信じる者が、この世から呼び出され、一つにされた集まりが教会である。闇の力も死の力も損なうことはできず、教会は天の御国につながっている。御国の民の集まりである。
私たちが正しい信仰を持ち、一つとされているなら、教会は天の御国と結ばれている。闇の力、悪の力が働く地上で、ここに救いがあり、ここに命があり、ここに平安があることを証ししていこう。