聖書各巻緒論36・預言書14

聖書:ゼパニヤ3:14~20

3:14 娘シオンよ、喜び歌え。イスラエルよ、喜び叫べ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。
3:15 主はあなたへのさばきを取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れることはない。
3:16 その日、エルサレムは次のように言われる。「シオンよ、恐れるな。気力を失うな。
3:17 あなたの神、主は、あなたのただ中にあって救いの勇士だ。主はあなたのことを大いに喜び、その愛によってあなたに安らぎを与え、高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる」と。
3:18 「例祭から離れて悲しむ者たちをわたしは集める。彼らはあなたから離れていた。そしりがシオンへの重荷であった。
3:19 見よ。わたしはそのとき、あなたを苦しめたすべての者を罰する。わたしは足を引きずる者を救い、散らされた者を集め、彼らの恥を全地で栄誉ある名に変える。
3:20 そのとき、わたしはあなたがたを連れ帰る。そのとき、わたしはあなたがたを集める。まことに、あなたがたの目の前でわたしがあなたがたを元どおりにするとき、わたしは、地のあらゆる民の間であなたがたに栄誉ある名を与える。主は言われる。」

 

 

聖書各巻の緒論として、旧約聖書の最後の区分12小預言書の9巻目ゼパニヤ書で
ある。
Ⅰ.ゼパニヤへの裁きの使信
ゼパニヤは南王国ユダでヨシヤ王の時代に神様に仕えた(1:1)。内容から見ればヨシヤの宗教改革以前、ヨシヤの初期の時代である。4代前にはヒゼキヤの名が出てくるがユダ王ヒゼキヤであろうか。本書の言葉は大胆で勇気があり、ゼパニヤの熱情と素直さを見る。1:1は表題、以後3つの区分になる。
1)1:2~2:3はエルサレムへの裁き
2)2:4~3:8までが諸国の滅亡とユダへの警告
3)3:9~20までが主の日における救いが述べられている。特に第二の区分の裁かれる諸国とはペリシテ(2:4-7)、モアブ・アンモン(2:8-11)、アッシリア(2:12-15)、エルサレム(3:1-8)である。
イスラエルを苦しめた悪しき国々に神様が報復されるが、同時にユダ自身も罪咎の責めを免れないことが記されている。

Ⅱ.ゼパニヤが見た主の日
第一の区分はエルサレムへの裁きが語られる。ヨシヤ王の2代前のマナセは偶像礼拝によって、ユダを暗黒におとしめた。マナセの悪は未だはびこっていた「バアル、偶像の祭司、屋上で天の万象を拝む者ども、ミルコムに誓いを立てる者ども」(1:4~6)。神様は指導者たちにより厳しい裁きをくだされる「首長たち、王子たち」(1:8)。1:10からはエルサレム全体に区別なく災厄が降りかかることが記されている。この一つの区分の中に、「主の日」としての「日」が18回記されている。やがて主の怒りによりエルサレムに滅びの日が来る。バビロニア・ネブカドネツァルによる2回の包囲によってエルサレムは陥落する(列王第二25章)。その有様は「苦難と苦悩、荒廃と滅亡、闇と暗黒、雲と暗闇、角笛とときの声、城壁と塔が襲われる」(1:15・16)と記されている。イスラエルは選ばれた民と自認し、聖なる都エルサレムは永遠と思っていた。信仰者が神様に背き従わず、神様以外のものに心奪わるなら誰もが同じ道をたどる。

Ⅲ.ゼパニヤが見た回復の栄光
神様はゼパニヤに裁きによる滅びを語られただけではない。神様はそのような御方ではない。3:9からは回復の約束が、3:14からは恵みの喜びが歌われている。裁きは取り除かれ、敵は失せる。散らされた者は集められ、恥は誉に変わる。何よりも、「主はあなたのただ中におられる。」(3:15)、「主はあなたのただ中にあって救いの勇士。」(3:17)とある。主の臨在の回復は、後のゼカリヤ書にも「わたしは来て、あなたのただ中に住む。」(ゼカリヤ2:10・11)とある。ゼカリヤはバビロン捕囚後、エルサレムへの帰還、神殿再建の時代である。ゼパニヤへの預言は、ゼカリヤでは成就した。主が共におられる臨在の恵みは、旧約聖書では特別なものであった。神の民を神様は見捨てられなかった。

今や「インマヌエル・神が私たちとともにおられる」というイエス様がお生まれになり、すべての人への恵みとなった。イエス様は私たちの最も近くにおられるが、やがて再び来られ全ての秩序を新たにされる。その時には全ての隔ては取り除かれる(黙示録21:3・4)。