聖書各巻緒論35・預言書13

聖書:ハバクク2:1~4

2:1 私は、自分の物見のやぐらに立ち、砦にしかと立って見張り、私の訴えについて、主が私に何を語られるか、私がそれにどう応じるべきかを見よう。
2:2 主は私に答えられた。「幻を板の上に書き記して、確認せよ。これを読む者が急使として走るために。
2:3 この幻は、定めの時について証言し、終わりについて告げ、偽ってはいない。もし遅くなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない。
2:4 見よ。彼の心はうぬぼれていて直ぐでない。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。」

聖書各巻の緒論を語る。旧約聖書の最後の区分12小預言書の8巻目ハバクク書である。

Ⅰ.ハバククの時代
ハバクク書の背景や、ハバクク自身について詳しくは記されていない。ハバククの活動は南王国ユダであり、時代は「カルデヤ人を起こす。」(1:6)から新バビロニア帝国が興る以前になる。南王国ユダに滅亡が迫る不安な時代にハバククは神様に仕えた。内容は明らかに3つに区分される。1:2~2:4が神様とハバククの対話、2:5~20は悪しき者への宣告、3章はハバククの祈りになる。ハバクク書に描かれている内容は神様に反する悪しき者の姿、悪しき者への裁き、信仰による勝利である。ハバクク書の悪しき者は暴力と争いに終始する(1:2~4)。悪しき者は誰なのかは、アッシリア、エジプト、ユダの国内と各論あり、暴力的であったということでは全てに当てはまる。国の内外に暴力と争いが満ちている状況は、私たちの現在と同じである。

Ⅱ.ハバククの信仰(2:1~4)
1)個人の信仰を確立する(2:1);自分の物見やぐらに立ち、砦で見張り、主の語りかけ、応答について考える。神様は教会やグループにも語られるが個人に対して語られる。個々人が神様の御心を見逃さず、聞き逃さず、見聞きしたものへの応答が語られている。
2)終末の信仰に立つ(2:2~3);終末の幻を見、終末を待ち望む姿が記されている。急使が立てられ、走って伝えることが書かれている。急使の知らせは敵が攻めてきた、王が亡くなったなど、緊急事態である。私たちも終末への危機感、緊迫感を持つ。
3)義認の信仰に立つ(2:4);後半はローマ1:17に引用され、宗教改革の際の信仰義認の支えとなった。ハバククの時代は悪や暴力という不義の中で、正しい行いに立つことが預言者によって示された。私たちにはイエス様の来臨によって福音が明らかにされ、十字架の贖いによって救いの道が開かれ、義とされる恵みがある。

Ⅲ.ハバククの祈り(3章)
ハバクク書が祈りを持って閉じられていくことはハバクク自身の信仰の素晴らしさに思い至る。その祈りは第一に、神様への畏敬、神様の偉大さがたたえられる(3:1~6)。祈りの第二は、神様が公義を示されて、悪を打ち砕かれる神様の業についてである(3:7~16)。祈りの第三は、神様の確かさの故に現実がいかに厳しくとも、神様の愛に期待し力をいただくことが祈られている(3:17~19)。この祈りの深さは「正しい人は信仰によって生きる。」という聖書を貫く神様の真実が開かれたことによってハバククに与えられた。私たちも目に見える現実を超えて、神様は働かれて行くという信仰を、ハバクク書を通して持つことができる。

イエス様の復活を疑ったトマスに対してイエス様は「見ないで信じる人たちは幸いです。」(ヨハネ20:29)と言われた。トマスは信仰を持ってイエス様に従っていた。信仰があるからこそ、見る所を知る所を超えて神様は働かれることを受け止めることができる。