聖書各巻緒論43,新約4,福音書4

聖書:ヨハネ3:5~21

3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。
3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。
3:8 風は思いのままに吹きます。その音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くのか分かりません。御霊によって生まれた者もみな、それと同じです。」
3:9 ニコデモは答えた。「どうして、そのようなことがあり得るでしょうか。」
3:10 イエスは答えられた。「あなたはイスラエルの教師なのに、そのことが分からないのですか。
3:11 まことに、まことに、あなたに言います。わたしたちは知っていることを話し、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れません。
3:12 わたしはあなたがたに地上のことを話しましたが、あなたがたは信じません。それなら、天上のことを話して、どうして信じるでしょうか。
3:13 だれも天に上った者はいません。しかし、天から下って来た者、人の子は別です。
3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。
3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。
3:19 そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。
3:20 悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。
3:21 しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。

新約聖書の第4巻、福音書の最後になるヨハネ福音書は第四福音書と呼ばれる。最初の3巻は共通項が多く共観福音書と呼ばれる。最後に記された福音書の独自性を見ていこう。

Ⅰ.ヨハネが導かれたこと
ヨハネ福音書はイエス様の弟子ヨハネが記した。ガリラヤ湖の漁師ゼベダイの子、兄はヤコブである。ペテロ、ヤコブ、ヨハネは12弟子の中で重要な場面で選ばれ(ヤイロの娘のよみがえり、変貌山、ゲッセマネの祈り)、重んじられていた。ヨハネは12弟子中一番若く、最後まで生き残った。初代教会を支え、後年はエペソ教会で、福音書、3通の手紙、黙示録を残した。ヨハネ福音書でヨハネはユダヤ人として旧約的な背景から書き起こして(1:1は創世記1:1との対照、以下にも多数)、全世界の救い主を指し示した。ヨハネの時代、初代教会は世俗思想と異端との大きな戦いが始まっていた。他の福音書と比べてヨハネが多用した「愛、真理、光、あかし、とどまる」といった語もこの世に対して証しする言葉である。ヨハネの戦いは正に現在につながる。

Ⅱ.ニコデモが導かれたこと
ヨハネ福音書の特長の一つは人にスポットを当て、個人がどのように神様に導かれたかを明らかにする。3章のニコデモはパリサイ人、サンヘドリン議員、教師、年配であった。ニコデモは他のパリサイ人と違い、イエス様に教えを乞いにきた。ニコデモは偏見を持たず、目が開かれていたと言える。イエス様はニコデモに神様の真理を大胆に語られた。人は聖霊によって新しく生まれ、永遠の命を得る。肉体の誕生ではなく霊的な誕生である。イエス様はモーセによる荒野の旅でのイスラエルの民の反逆の際、青銅の蛇を仰いだ者は生き延びた話をされた(民数21:9)。これは、イエス様ご自身の十字架の贖いの死を表していた。ニコデモは頭を振りながら帰っていっただろう。イエス様はニコデモがやがては理解し、新生する日が来ることをご存じであった。この後、7:50からの弁明、19:39のイエス様の葬りから、ニコデモがイエス様に近づけられていったことが分かる。

Ⅲ.神様が導かれたこと
ニコデモの話の続きとして16節以下が出てくる。イエス様がニコデモに掲げられた青銅の蛇の話をされたように、イエス様は十字架に架けられ命を捨てられた。それは尊い神様の救いのご計画によるものであり、十字架に上げられたイエス様を救い主として仰ぎ望む者は誰でも救われ、永遠の命に生きるというこの世で最も偉大な真実である。神様の愛の内に生きる。神様の光の内に歩む。神様の真理に従って進むことができる。ヨハネはこの福音書を記した目的を20:31に記す「これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。」。ヨハネ福音書は救霊と伝道のために書かれている。

ヨハネ福音書は多くの価値観、思想、技術の革新が入り乱れているこの時代にこそ読まれるべきであり、永遠に至る指針を見いだすことができる。