敬老祝福礼拝

聖書:ペテロ第一4:7~16

4:7 万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。
4:8 何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。
4:9 不平を言わないで、互いにもてなし合いなさい。
4:10 それぞれが賜物を受けているのですから、神の様々な恵みの良い管理者として、その賜物を用いて互いに仕え合いなさい。
4:11 語るのであれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕するのであれば、神が備えてくださる力によって、ふさわしく奉仕しなさい。すべてにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。この方に栄光と力が世々限りなくありますように。アーメン。
4:12 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。
4:13 むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。
4:14 もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
4:15 あなたがたのうちのだれも、人殺し、盗人、危害を加える者、他人のことに干渉する者として、苦しみにあうことがないようにしなさい。
4:16 しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい。

本年も敬老祝福礼拝を迎えることができて感謝。日々、皆様の健康と祝福を祈っている。キリスト者の歩みはイエス様と共にあり、御言に導かれ、聖霊に照らされている。キリスト者は成長していく歩み、特に年配の方であるなら成熟していく歩みである。

Ⅰ.時を経て磨かれる
聖書の時間の捉え方の一つは、未だ起こっていない未来、終末から見ている「万物の終わりが近づきました。」(7節)。今現在から終わりへと向かうのではなく、終わりから現在を逆に見ている。教会への手紙を書いた使徒のペテロもヨハネも終末を強く意識している。終末への備えは何よりも祈りが必要である。祈るためには心も身体も、自分勝手にして良いのではなく慎み、整えられていることが語られている(7節)。祈りと実際の生活は相乗効果であって、祈りによって生活そのものが整えられていく。悪い時代の只中で賢く知恵ある者として歩むことができる(エペソ5:15~17)「知恵のない者としてではなく、知恵のある者として、機会を十分に活かしなさい。悪い時代だからです。」。特に人生経験を積まれている皆様に、賢く生きる模範を見せていただきたい。

Ⅱ.賜物が活かされる
次に賜物を活かして生きることが示されている。神様は良い霊的な賜物を私たちに備えておられる。代表的なものとしてローマ12:6以下は預言、奉仕、教える、勧め、分け与える、指導、慈善、コリント第一12:4以下は知恵のことば、信仰、癒し、奇跡、預言、霊を見分ける、異言、解き明かし、他にも職責からの分類がある。よく私の賜物が分からない、私は持っていないと聞く。神様の最大の賜物は(ローマ6:23)「神の賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。」である。私たちはキリスト者の誰もがこの恵みに生かされていることを心から喜ぶ。神様に愛されている者として(8節)「互いに熱心に愛し合いなさい」に至る。私たちはできなくなることが順次起こってくるが、神様の愛に生きる賜物は最後まで失われない。神様の愛の内に天に迎えられていく。

Ⅲ.試みさえも用いられる
長く生きることは試練、苦難に出会うことも多くなる。ここには(12節)「燃えさかる試練」、(13節)「キリストの苦難」が出てくる。しかし、驚き怪しみ、不信感を持つことではない。むしろキリストの栄光が現れるように喜べと言われる。年をとっていくことは、何を第一に生きてきたのか、何を信頼して生きてきたのかが問われる。3つ子の魂百までとは良くぞと思う言葉であろう。人が培ってきた性質は急に変わるものではない。今日、何を大切にしているかが、これからに表されていく。信仰を持って、神様に寄り頼んでいく生き方は、年令も知識も持てるものも何も関係なく、今ここから始めることができる。その人を明らかに造り変える。もう既にそのように歩まれている皆様であるからこそ、これからの実りは大きい。

上智大学第2代学長ヘルマン・ホイヴェルス神父「最上のわざ」説教詳細の方に掲載。