聖書各巻緒論53・パウロ書簡9

聖書箇所:テサロニケ第二2:7~17

2:7 不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。
2:8 その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。
2:9 不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、
2:10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。
2:11 それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。
2:12 それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。
2:13 しかし、主に愛されている兄弟たち。私たちはあなたがたのことについて、いつも神に感謝しなければなりません。神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、あなたがたを初穂として救いに選ばれたからです。
2:14 そのために神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光にあずからせてくださいました。
2:15 ですから兄弟たち。堅く立って、語ったことばであれ手紙であれ、私たちから学んだ教えをしっかりと守りなさい。
2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、
2:17 あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。

テサロニケ人への手紙第二は、パウロが教会宛てに記した手紙の最後に置かれている。実際はこの2通が書かれた時期は他のどの手紙よりも早い。ごく早い時期の教会に向けられている。

Ⅰ.正しい理解によって
先にテサロニケ人への手紙第一を開いた。テサロニケ教会はパウロの第二回伝道旅行の途中、わずか3週間の滞在で教会の基礎が生まれた。テサロニケの伝道は「力と聖霊と強い確信を伴って」(同手紙第一1:5)とあり、「あなたがたは、マケドニアとアカイアにいるすべての信者の模範」(同手紙第一1:7)とまで言われた。神様の働きの素晴らしさ、教会の理想の姿を見る思いがする。しかし、彼らの外には厳しい迫害による戦いがあった。彼らの内にはイエス様の再臨と信仰者の関わりがうまく理解できていなかった。イエス様を信じていても死ねば滅んでしまうと考えていた。
パウロは戦いの中にある彼らを励まし、信仰者の死を正しく理解して永遠の希望を持つことを第一の手紙に記した。第二の手紙はこの後、数か月程度で書かれたようだ。テサロニケ教会の様子が余り変わらないので、この手紙を記しており、内容としては似通っている。

Ⅱ.最終的な勝利によって
テサロニケ教会はイエス様の再臨、終末を誤解している部分があった。2章では主は再臨されたという人たちがいた「主の日がすでに来たかのように」(2:2)。間違いであるが、主の再臨の前にまず「背教が起こり」(2:3)とある。背教とは、迫害や禁教は外からの圧力であり、背教は内側から信仰や教理が揺さぶられることである。背教の次に「不法の者」(2:3、以下5回)が現れる。不法の者はダニエル書との関連が深い。不法の者はサタンではないが、サタンに利用される道具となる。不法の者を特定の人物に当てはめようとの考えは古くからある。人物というよりも悪の力や働きとして終末まで暗躍する。ヨハネ黙示録で悪は完全に滅ぼされるように、不法の者はイエス様によって滅ぼされる。8節にはイエス様の「御口の息」である聖霊により、「来臨の輝き」によって闇は打ち消される(黙示録1:12~16)。
背教も不法の者も悪の力を振るうが決して勝利はしない。勝利は主のものであり、私たちもその勝利の列に加わる。

Ⅲ.御言の導きによって
13節から最後の3章までこの手紙の後半は、テサロニケ教会を主の前に立ちうるものとしての整えが記されている。13節から17節は頌栄であってテサロニケ教会が困難を乗り越え、正しい教えに立ち、主の栄光を表すようにとの祈りである。最後の3章は実際の生活の中で怠惰を戒めている。テサロニケ教会には間違った終末の教えが入り込んでおり、終わりが来るのなら身を入れて生活する必要はないと考える者たちがいた。実際は真逆であり、終末を迎えるからこそ、神様の愛をいただき、十字架を忍ばれたイエス様の忍耐を思い起こしつつ、真実に生きる者となる。

終わりが近づくが、私たちは神様の愛、聖さを持ち続け、忍耐しつつ、希望を持って主の来臨を待ち望む。この真理に立って生きよう。