聖日礼拝説教要旨‘24.9.29
聖書各巻緒論54・パウロ書簡10(牧会書簡1)

聖書箇所:テモテ第一6:11~21

6:11 しかし、神の人よ。あなたはこれらのことを避け、義と敬虔と信仰、愛と忍耐と柔和を追い求めなさい。
6:12 信仰の戦いを立派に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、多くの証人たちの前ですばらしい告白をしました。
6:13 私は、すべてのものにいのちを与えてくださる神の御前で、また、ポンティオ・ピラトに対してすばらしい告白をもって証しをされたキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。
6:14 私たちの主イエス・キリストの現れの時まで、あなたは汚れなく、非難されるところなく、命令を守りなさい。
6:15 キリストの現れを、定められた時にもたらしてくださる、祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、
6:16 死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方。この方に誉れと永遠の支配がありますように。アーメン。
6:17 今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、
6:18 善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、
6:19 来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。
6:20 テモテよ、委ねられたものを守りなさい。そして、俗悪な無駄話や、間違って「知識」と呼ばれている反対論を避けなさい。
6:21 ある者たちはこの「知識」を持っていると主張して、信仰から外れてしまっています。恵みがあなたがたとともにありますように。

パウロの手紙が続きますが、教会宛ての手紙は前のテサロニケ人への手紙第二までになります。テモテ第一・第二、テトス、ピレモンへの個人宛ての手紙は牧会書簡と呼ばれます。牧会者であるパウロから教師であるテモテ、テトス等個人に宛てられています。テモテはパウロの愛弟子、助け手、同労者として、パウロと労苦を共にしました。テモテへの手紙の内容は1)異端的な教えとの戦い、正統的な教えが普及するのに時間がかかりました。2)弱い立場にある人たちへの配慮、女性や奴隷に対しての言葉がよく出て来ます。3)牧会上の実際の教えが中心、牧師としての働きが、それぞれの教会の状況に照らしてアドバイスされています。今日、開かれてきました6章後半は、テモテへの励ましと勧めになります。

Ⅰ.私たちは信仰の戦いにある
世の人は信仰を持つことは、何事にも動かされない平安な心を持つ、穏やかな円満な人格になることなどを想像されやすいのではないでしょうか。もちろん、円熟した人格も信仰の実です。しかし、パウロはここで「信仰の戦い」(12節)と言っています。信仰は戦い取っていく、戦い抜いていくものでもあります。何の戦いでしょうか。神様の敵である悪魔との戦いもあるでしょう。つまずきやすい、誘惑に弱い自分との戦いもあります。神様に反するこの世の中との戦いもあることでしょう。
私たちはイエス様を見上げる者です。イエス様こそが信仰の創始者であり完成者である(へブル12:2)と言われています。また、イエス様ご自身が信仰の戦いを戦い抜かれました。ここで、ローマ総督ポンティオ・ピラトが出てくるように、十字架に至る受難が最大の戦いであられました。神様であったとしても、全人類の救いのためにご自身を供え物にされることは、どれ程大きな霊的な戦いであったことでしょうか。十字架を目の前にして、イエス様はゲッセマネの園で祈られましたが、「汗が血のしずくのように地に落ちた。」(ルカ22:44)とは、私たちが想像できない痛み、苦しみを負ってくださったのです。
イエス様が全人類の救いのために立たれた、その戦いが引き合いに出されれば、私たちの戦いはどんなに大きく感じても、小さなものになります。そして、信仰が戦いであるならば、敗北ではなく、勝利を得ていかなければなりません。信仰の戦いの勝利は、永遠のいのち、永遠の祝福につながっています。

Ⅱ.私たちは信仰の勝利をいただく
それでは、信仰の戦いに勝利するために私たちがなすべきことは何でしょうか。私たちは、イエス様が私の救い主であることを信じています。イエス様は、今、私たちには見えませんが、私たちの内に住んでくださっています。私たちに先立って、常に導いてくださっています。
今は見えないイエス様が、やがて私たちに見える形で来られます。イエス様の現れを待ち望んでいくことが、私たちの力となります。やがて来られるイエス様は、私たちへの祝福に満ちておられます。イエス様が来られる時には、この世のあらゆる権威の上に立たれます。王の王、主の主として全てを従わせられます。イエス様は栄光の輝きに満ちておられるのです。
私たちの戦いは厳しいものであっても、全ての権威の上に立たれるイエス様が来られるときには、私たちも圧倒的な勝利者として、全ての王であるイエス様と共に立つことができます。私たちの苦しみ、痛み、涙をぬぐいとってくださいます。私たちの永遠の希望はここにあります。

 

Ⅲ.私たちは信仰の実を結んでいく
実際の信仰生活の勧めとして、17節には「富んでいる人たちに命じなさい。」とあります。私たちはそれぞれ経済状況が違いますから、私は富んでいるとは言えませんという方も少なくないでしょう。かなり前にベストセラーになった「世界がもし100人の村だったら」という本があります。世界中の富についてこうあります。 …
「すべての富のうち
6人が59%をもっていて
みんなアメリカ合衆国の人です
74人が39%を
20人が、たったの2%を分けあっています」
私たちは持っている財の大きさは違いますが、世界中の富の4割を持っている74人に入っています。その意味では、18・19節の言葉は私たちに向けられています「善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。」。神様に伺いつつ、与えられているものを他の人々と分かち合うものです。その前に、17節「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神」とありますから、適度に自分を喜ばせるもの、楽しませるものを持てば良いのです。同時に、他者を顧みるものであることが記されています。

真の救い主への信仰によって、あらゆる戦いに勝利を得ることができます。その信仰は、永遠につながっている未来に希望を与えるものです。その信仰は、日々の生活にキリストの良き実を結ばせるものです。心が塞がれることが多い日々ですが、動かされずに戦っていきましょう。暗闇にも希望を持ち続けましょう。日々の歩みに忠実にイエス様に従っていきましょう。イエス様が再び来られた時に喜んで、お待ちしていましたと主の前に出ることができます。