聖書:ルツ記1:1~18
1:1 さばきつかさが治めていたころ、この地に飢饉が起こった。そのため、ユダのベツレヘム出身のある人が妻と二人の息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
1:2 その人の名はエリメレク、妻の名はナオミ、二人の息子の名はマフロンとキルヨンで、ユダのベツレヘム出身のエフラテ人であった。彼らはモアブの野へ行き、そこにとどまった。
1:3 するとナオミの夫エリメレクは死に、彼女と二人の息子が後に残された。
1:4 二人の息子はモアブの女を妻に迎えた。一人の名はオルパで、もう一人の名はルツであった。彼らは約十年の間そこに住んだ。
1:5 するとマフロンとキルヨンの二人もまた死に、ナオミは二人の息子と夫に先立たれて、後に残された。
1:6 ナオミは嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ることにした。主がご自分の民を顧みて、彼らにパンを下さった、とモアブの地で聞いたからである。
1:7 彼女は二人の嫁と一緒に、今まで住んでいた場所を出て、ユダの地に戻るため帰途についた。
1:8 ナオミは二人の嫁に言った。「あなたたちは、それぞれ自分の母の家に帰りなさい。あなたたちが、亡くなった者たちと私にしてくれたように、主があなたたちに恵みを施してくださいますように。
1:9 また、主が、あなたたちがそれぞれ、新しい夫の家で安らかに暮らせるようにしてくださいますように。」そして二人に口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
1:10 二人はナオミに言った。「私たちは、あなたの民のところへ一緒に戻ります。」
1:11 ナオミは言った。「帰りなさい、娘たち。なぜ私と一緒に行こうとするのですか。私のお腹にまだ息子たちがいて、あなたたちの夫になるとでもいうのですか。
1:12 帰りなさい、娘たちよ。さあ行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとえ私が自分に望みがあると思い、今晩にでも夫を持って、息子たちを産んだとしても、
1:13 だからといって、あなたたちは息子たちが大きくなるまで待つというのですか。だからといって、夫を持たないままでいるというのですか。娘たちよ、それはいけません。それは、あなたたちよりも、私にとってとても辛いことです。主の御手が私に下ったのですから。」
1:14 彼女たちはまた声をあげて泣いた。オルパは姑に別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついた。
1:15 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神々のところに帰って行きました。あなたも弟嫁の後について帰りなさい。」
1:16 ルツは言った。「お母様を捨て、別れて帰るように、仕向けないでください。お母様が行かれるところに私も行き、住まれるところに私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
1:17 あなたが死なれるところで私も死に、そこに葬られます。もし、死によってでも、私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
1:18 ナオミは、ルツが自分と一緒に行こうと固く決心しているのを見て、もうそれ以上は言わなかった。本年も召天者記念礼拝を迎えた。先に天に召された方々を覚えつつ、お一人一人の信仰を思い起こしていただきたい。
Ⅰ.人生の辛苦
ルツ記は、さばきつかさが治めていたころ(1節)とある。さばきつかさとはルツ記の前の士師記の士師のことであり、王政以前のイスラエルの一つの時代である。今からおおよそ3千年前のパレスチナの話になる。ユダヤの地に飢饉が起こり、ベツレヘムにいたエリメレク・ナオミという夫婦が隣国のモアブに移り住んだ。原因はともあれ郷里、祖国を失ったと言える。夫婦には2人の息子がいてそれぞれにモアブ人の妻をめとった。その後、父親のエリメレクが亡くなるが一番年長でもあっただろう。さらに若い2人の息子も次々に亡くなってしまい、男性ばかり3人が失われてしまった。伴侶、家族との離別は心の痛みであるが、3千年前に女性だけで生きていくことは路頭に迷うことであった。実際にどう生きるのかという苦しみに直面した。私たちの人生に様々なことがらは起こってくる。
Ⅱ.人生の指針
ナオミは故郷のベツレヘムに帰ろうとするが、何かの当てがあったのではない。2人の息子の嫁はまだ若く子どももなかったので、故国のモアブに残って新しい人生を始めるようにナオミは勧めた。弟嫁はそのようにしたが兄嫁のルツはナオミから離れなかった。ルツにとって何の益もない、ユダヤは異国であり何の保証もない。ルツはあなたが行く所に私は行き、あなたが住む所に私も住み、あなたの民は私の民、あなたの神は私の神と言う。上辺ではないそこまで言えるものは何だろうか。ナオミは自分の神様について語り、語るだけではなく、そこに生きていたからこそルツは真実を見出していた。どんな真実も伝えてくれる人がいなければ伝わらない。裏表なく生きる人がいなければ真実は明らかにされない。一緒に暮らす中でルツはナオミの姿から学び取っていった。真実の神様に従っていくことをルツは選んだ。最後まで読むとそのことが一番正しい、一番良い選択であったことが分かる。私たちは自分の人生の指針に何を選び、何を持っているのだろうか。
Ⅲ.人生の導き手
寄る辺のないナオミ、ルツの2人はベツレヘムに着く。町中が2人の姿を見て騒いだとあるが、町の人はナオミの変りように驚き、悲しんだ。しかし、2人が着いたのは大麦の刈り入れが始まった時期であった。何も持たない嫁のルツは大麦の落穂拾いをする。ルツが落穂を拾ったのは、はからずも父親エリメレクの一族ボアズの畑であった。ボアズはルツに目を止め、そこから話は進んでいく。当時の相続の風習も出てくるがボアズとルツは結婚する。ルツに子どもが生まれ、ルツのひ孫がイスラエルを統一したダビデ王となる。そして、人の目から見ればダビデの系図の先にイエス・キリストが誕生する。ナオミもルツも何も与り知らなかったことがらの中に神様が導かれていたことを知る。ナオミが神様を表していたこと、ルツが神様を信じる心を持っていたこと、このことの中に神様は働かれていたのである。
ナオミが先祖からの伝承として受け止めていた神様、ルツが聞かされていた神様。今はこの地上に生まれてくださったイエス。・キリストを通して私たちは明らかに知ることができる。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)とイエス様はご自分を語られた。この御方が私たちの導き手であり、祝福の源となってくださっている。私たちも自分の神様として受け止め、信じ、従っていこう。