聖書箇所 ローマ1:16~17

1:16 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
1:17 福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

今月10月31日は有名なマルティン・ルターによる宗教改革記念日です。本日はその記念日に因んで、「宗教改革の恵み」について考えることにします。
丁度7年前の2017年10月31日が宗教改革500年記念日に当たりました。その年にはルター派教会が中心になって東京で宗教改革500年記念集会が行われました。まだ記憶に新しいところです。
ルターによる宗教改革はミッション・スクールや教会はもとより一般の教育機関においても取り上げられる有名な歴史的改革であります。それだけでなく、否、それ以上に私たちキリスト者にとっては、ルターの主張する信仰内容が、500年を経た今日においてもお互いの信仰の基盤であり、出発点であり、今なお色あせない内容であるところに改めてルターの偉大さを覚えます。

さて、最初にルターによる宗教改革の発端について考えて見ることにいたします。
カトリック教会の総本山は紀元4世紀頃に創建された、サン・ピエトロ大聖堂です。カトリック教会の伝承によれば、サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペトロの墓所を祀る聖堂とされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇ります。
創建後、約10世紀を経た紀元1500年頃、サン・ピエトロ大聖堂も次第に老朽化して再建の話が持ち上がってきました。
当時のローマ教皇はレオ10世でした。彼はサン=ピエトロ大聖堂
の改築資金のために「贖宥状=免罪符」を発行して、販売することを思いつきました。このお札を購入すると現世での罪が許され、天国に行けると教えたのです。同じようなことが500年を経たわが国の神社・仏閣においても日常的に行われています。お金を払えば「大吉・小吉・凶・末凶・・」などのお札を手にすることができます。さすが「極楽に行ける」というお札はありません。
こうした「贖宥状=免罪符」を販売に真っ向から異議を唱えたのが、当時ヴィッテンベル大学の神学部教授をしていたマルティン・ルターでした。彼は「義人は信仰によって生きる」(ローマ人への手紙1章17節)という聖書の言葉に堅く立っていました。つまりルターは「行為よりも信仰」、「教義よりも実際」、「神学よりも生活」の重要性を主張したのです。それで彼の主張は「聖書主義」とか、「信仰義認説」と呼ばれています。
ルターは1517年10月31日、ローマ教会に対して95ヶ条の抗議文をヴィッテンベルク城に貼りました。この抗議は反教皇派の諸侯、市民、農民を巻き込みドイツ社会に大きな打撃を与えました。当初ルターは新宗派を創設する意思はなく、カトリック教会内部の改革を望んでいました。しかし、対立は先鋭化し1520年に教皇レオ10世はルターが自説を撤回しなければ破門すると警告しました。ルターはこれを拒絶しました。
一般に宗教改革の精神として「五つのソラ」が上げられます。「ソラ」とは、「~のみ」という意味です。「聖書のみ、信仰のみ、恵みのみ、キリストのみ、神の栄光のみ」の五つです。
本日はルターが強調した「信仰義認、聖書=神の言葉、万人祭司制」について考えてみます。

Ⅰ.信仰義認(信仰のみ)
ルターが拠り所とした聖句は「義人は信仰によって生きる」(ローマ1:17)でした。この言葉が最初に記載されているのは、
「正しい人はその信仰によって生きる」(ハバクク2;4)です。
口語訳は「しかし義人はその信仰によって生きる。」と訳しています。
「義認」という字句は聖書にはありません。ただ、「義認」を意味する聖句はあります。その代表的な聖句は、
「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。」(ローマ3章24節)
「義」とは他者と比較しての「正」ではなく、「神の義」とありますから「神の絶対的な義しさ」を意味しています。
ルターは自分の行為によっては到底神の前には立つことができないことを自覚していました。従ってルターは徹底して自らの行為による義に破れ、キリストの贖いを信じる信仰によって神の前に立ったのです。「信仰」の反対は「行為」です。行為に失望したルターは、キリストに対する信仰によってのみ罪が赦されることに希望を見出したのです。外国の宣教師は良く漢字の中から聖句の真理を見出しました。「義」という言葉もその一つです。「義」とは、「我の上に羊が乗った」形をしています。「罪深い『我』の上に、聖なる『羊=イエス様』が乗って下さったことが「義」そのものなのです。

2.聖書信仰(聖書のみ)
イエス・キリストは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる」(マタイ4:4)と言われました。
またパウロは「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。」(第二テモテ3:16)と記しています。
ルターは聖書が単に個人や教会にとって有益な書物であると主張したのではなく、「神のことばが、教会の教えと信仰告白を確立する。それは天使であっても覆すことができない。それ故に、教皇も教会会議も最終的な権威ではなく、教会におけるすべての権威の上に聖書の権威を置き、聖書の権威に服すべきである」と主張したのです。500年前のルターの言葉が、500年後の今日の教会や信徒各人にどのように届いているだろうか。襟をただして聞くべき耳を持たなくてはなりません。

3.万人祭司制(宣教のみ)
万人祭司制(性)とは、余り聞き慣れない言葉です。「万人」とは、すべての教職、信徒を問わず、すべてのキリスト者であると理解できます。そのすべての信徒は「祭司」である、という内容です。以上の内容はルターがかねてから「神と人間との間にはキリスト以外の仲介者は必要なく、すべての人に福音を伝える責任があります。」と主張している内容に符合します。さらにルターは、聖職者と普通の人との区別はなく、すべての人は神の前で平等だとも説いたことでも知られています。
「聖職者と普通の人との区別はなく、すべての人は神の前で平等」であるというルターの言葉には納得します。「両者は立場の違いであって、祭司としての身分は同じである。」ということなのです。結論を言えば、すべてのキリスト者は、「祭司」として、「宣教と牧会、祈りと交わり」に励むべきである。」と言うことになります。

「歴史的逸話」

説教のスポルジョン

1834年6月19日~1892年1月31日)は、イギリスの著名なバプテスト派の牧師、伝道者、説教者

「地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。」(イザヤ45:22)

この聖旬はスポルジョンの回心の(みことば)として有名です。彼は1850年1月6日、大雪の降る日曜の朝、牧師に代わって講壇に立った一人の執事の説教によって救われました。執事はしどろもどろになって「われを仰ぎのぞめ、さらば救われん。仰げ!仰げ!」と必死になって叫びました。その時15才の少年はただ(聖句=みことば)を信じて「主を仰いで」救われたのです。今も、かつての雪の朝、彼が占めた古い教会の座席の傍らの壁に一枚の碑文が飾ってあります。

「まさにかの朝、階下に座せる少年は回心した」と。

私たちが宣べ伝えるのはキリストであり、仰ぎのぞむのはキリストです。そして主を仰ぎのぞむ時に人々は救われるのです。