聖書箇所:コロサイ3:7~17

3:7 あなたがたも以前は、そのようなものの中に生き、そのような歩みをしていました。
3:8 しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。
3:9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
3:10 新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。
3:11 そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。
3:12 ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。
3:13 互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
3:14 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。
3:15 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
3:16 キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。
3:17 ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。

本年の年末感謝礼拝を迎えた。この1年教会にも、個人にも様々なことがあった。なお困難や戦いにある方々もおられる。年の瀬に誰もが思うことであるが、この年を感謝を持って終え、新しい年に希望を持って進みたい。

 

Ⅰ.感謝の心の基

今、私たちは本年最後の礼拝をささげている。今という言葉は、英語ではプレゼントであり、プレゼントは現在、贈り物、紹介するというような意味を持つ。私たちが今あるということは当たり前のことではなく、与えられている特別なことである。痛みや苦しみがあっても、今を生きていること自体が感謝であることに気づかされる。

神様は感謝をどう語られているのか。この聖書箇所では感謝という言葉が15~17節の3節にそれぞれ1回ずつ用いられている。要約すれば、キリストの平和によって感謝の心を持つ(15節)、キリストのことばを内に持ち感謝をもって賛美をささげる(16節)、主イエスによって父なる神様に感謝し、語り行動する者である(17節)となる。何れもキリストによって、キリストにあってということが重要である。先週はクリスマス礼拝であった。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)。私たちは感謝を持って、罪のあがないとしてお生まれになったイエス様を受取るものである。イエス様を信じ受け止めることが、私たちの感謝の基にある。

 

Ⅱ.古い人から新しい人へ

イエス様を救い主と受け止めて、神様にある感謝に生きることができる。イエス様を信じて生きることは、この箇所の表現では新しい人(10節)として生きることである。新しい人があるならば古い人(9節)もある。ローマ6章にも記されている。「私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。」(ローマ6:6)。

イエス様を救い主と信じることによって、罪の赦しがなされる。マタイ9章では中風の人が癒された話が出てくる。イエス様は彼らの信仰を見てあなたの罪は赦された(マタイ9:2)と宣言された。イエス様は罪を赦す権威をお持ちだからである(マタイ9:6)。また、ローマ6:6には、「罪のからだが滅ぼされて、私たちが罪の奴隷でなくなる」ことは、過去の言葉、行い、思い等の罪の赦しだけではない、罪を犯してしまう「罪のからだ」が滅ぼされると記されている。罪を犯させる原因となる古い人はキリストの十字架によって処分される。

罪の奴隷である古い人は失われるが、新しい人を神様は用意されており、新しい人を着ることができる(10節)。もし、古い人を脱ぎ捨てないで新しい人を着ようとするなら、不可能であり苦しいだけである。Cf.成長の過程で姿を変える昆虫がいる。幼虫からさなぎに、さなぎから成虫になる。変わる節目は危機であるが新しい姿になるためには必要である。… 自分の古い人を脱ぐとは、言ってみれば裸になって神様に委ねる。神様は裸の私たちを必ず受け止めて新しい人を着させてくださる。

 

Ⅲ.新しい人として生きる

コロサイ3章には古い人の姿が出てくる。淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、貪欲(5節)、怒り、憤り、悪意、ののしり、恥ずべきことば(8節)、偽り(9節)である。新し人の姿も出てくる。慈愛、親切、謙遜、柔和、寛容(12節)、忍耐、赦し合う(13節)、愛(14節)である。私たちはイエス様の十字架の救い、潔めによって新しく歩み出でていくことができる。この新しい歩みに私たちは生かされていこう。イエス様の十字架によって新しい人を着るならば、御霊の実を結んでいく生き方となる。周囲の人々に喜ばれる生き方をすることができる。

 

神様が備えてくださっている恵みに感謝し、新しい年は新しい人となって歩もう。