聖書箇所:黙示録5:6~14

5:6 また私は、御座と四つの生き物の真ん中、長老たちの真ん中に、屠られた姿で子羊が立っているのを見た。それは七つの角と七つの目を持っていた。その目は、全地に遣わされた神の七つの御霊であった。
5:7 子羊は来て、御座に着いておられる方の右の手から巻物を受け取った。
5:8 巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老たちは子羊の前にひれ伏した。彼らはそれぞれ、竪琴と、香に満ちた金の鉢を持っていた。香は聖徒たちの祈りであった。
5:9 彼らは新しい歌を歌った。「あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、
5:10 私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。」
5:11 また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。
5:12 彼らは大声で言った。「屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。」
5:13 また私は、天と地と地の下と海にいるすべての造られたもの、それらの中にあるすべてのものがこう言うのを聞いた。「御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。」
5:14 すると、四つの生き物は「アーメン」と言い、長老たちはひれ伏して礼拝した。

今の世界を見渡す時に、終わりの日が近づいていることを感じる。終わりの日が昨日よりも今日、今日よりも明日の方が近いということも当然である。主の来臨も、終末も何時の時か知り得ない私たちは目を覚まして待ち望む者である。説教の主題の一つとして、やがて完成する神様の御国を御言から語ってきた。前回から、ヨハネ黙示録の預言に当たる4章からを開き始め、今朝は5章になる。今の時になすべきこと、備えるべきことを示していただこう。

 

Ⅰ.屠られた子羊

先の4章ではヨハネは天に引き上げられ、神様の御座で礼拝する24人の長老、4つの生き物を目にした。5章には黙示録の中心となるイエス様が出て来られる。イエス様が最初に登場するのは黙示録の序論である1章12節以下になる。威厳と力に満ちた、神々しい姿であった。5章で出てくるイエス様の姿は屠られた子羊である。ヨハネはイエス様にユダ族の獅子(5節)を期待していただろう(ヤコブが残した創世記49章8節からのユダ族への預言は、獅子として王権を持つとある)。

イエス様は弱々しく見える小さな子羊であり、しかも殺され、祭壇に供えられた姿である。イエス様は「わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。」(1:18)と言われている。イエス様が十字架で殺されはしたが、3日目によみがえり、今も生きて神様の働きを進めておられる。死なれても生きておられ、弱く小さく見えるが強く大きな御方である。最終の戦いに勝利され、全ての栄光を受けるべき御方であることが示されていく。

黙示録ではイエス様は子羊として28回記され、他に比べてはるかに多い。竜、獣、大バビロン、大淫婦など強大で恐ろし気な存在が多く出てくるが、屠られた子羊の前に彼らは殺され、滅び去る。

十字架で死なれたイエス様によって贖われた私たちは「子羊が行く所、どこにでもついて行く」(14:4)ものである。終末に、屠られた子羊が私たちの牧者として導かれる。

 

Ⅱ.渡された巻物

屠られた子羊であるイエス様に7つの封印で閉じられた巻物が手渡された。ヨハネは5章の始めに巻物があっても開くに相応しい方、見るに相応しい方が見つからないので泣いたとある(4節)。巻物が開かれなければ、終末は始まらない、完成には至らない。私たちが今生きているこの世界は、破れたまま、痛みや悲しみのあるまま、もっと悪化しながら続いて行く。神様が介入されて、新しい世界が生まれなければならない。そのままに進んでいってしまう。

屠られた子羊であるイエス様が立たれて、巻物を受け取り、これを開かれて7つの封印が解かれなければならない。封印が解かれると天変地異、激しい戦い等が起こっていく。私たちはやがての栄光を仰いで、産みの苦しみとして耐えなければならない。

旧約聖書の預言書には終末に関して多くの預言が残されている。ダニエル12:4には「ダニエルよ。あなたは終わりの時まで、このことばを秘めておき、この書を封じておけ。多くの者は知識を増そうと捜し回る。」とある。バビロン捕囚のダニエルの時代から今に至るまで、まだ巻物の封印は解かれていない。私たちは神様の救いの歴史が進められていくために祈るものである。

 

Ⅲ.天上の礼拝

屠られた子羊であるイエス様に封印された巻物が手渡された。イエス様の周りの4つの生き物、24人の長老による礼拝が始まった。4つの生き物は天的な存在であり、旧約聖書のケルビム、セラフィムのようである。24人の長老は先に召された聖徒たちを表している。11節には万の数万倍、千の数千倍という御使いたちも賛美に加わった。

天上の礼拝は竪琴の奏楽によって歌われた賛美、香としてささげられた祈りによって進められていく。そこで献げられたのは新しい歌(9節)であった。イエス様が封印を開かれることによって、神様の救いの歴史が進展することを讃えている。天も地も、地の下、海にいるすべての造られたものが神様をほめたたえる、全世界の賛美、礼拝がなされる「それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」(ピリピ2:10・11)。

屠られた子羊であるイエス様への礼拝は天上から始まって全地に及ぶ。黙示録はこれで終幕なのかという光景であるが、戦いはここから始まっていく。どんなに激しく、厳しい戦いであっても勝利は主にあるからこそ、礼拝は全世界で献られている。

 

イエス様の十字架の死による贖いは終末に至るまでほめたたえられる神様の御業である。この救いは全ての人に及び、私たちも与っている。これから終末に向かってさらに厳しさは増して行くが主の勝利を仰ぎ望んでいこう。

全ては礼拝から始められていく。私たちの献げる礼拝も、天とつながり、永遠につながるものである。礼拝に共に与り、礼拝を真心から共に献げるものである。