聖 書 ルカ2章1節~7節

(1) そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。(2) これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。(3) 人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。(4) ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。(5) それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。(6) ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、(7) 初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

 
 今日はヨセフとマリヤが迎えた初めてのクリスマスのことを黙想したいと思うのである。初めてのクリスマスの風景を黙想しながら私たちの現在の信仰をもう一度顧みたいと思うのである。
Ⅰ.それぞれ違う心境
 イエス様の誕生の知らせを聞いた当時の人々の心境はそれぞれ違うものであった。羊飼いたちは喜びと楽しみで迎えた。しかし、ヘロデ王はそれを否定しようとした。ヨセフとマリヤは黙々と従いながらその事実を受け入れた。今日もそれは同じである。クリスマスシーズンになると人々の心境はそれぞれ違うものである。遊びを楽しみにして待ち望む人、クリスマスの雰囲気を楽しむ人たち、教会のクリスマス行事で心が忙しいクリスチャンなど色々いるのである。もっと寂しくなる人々もいるのである。とにかくクリスマスになると多くの人々がそれぞれ違う心境でクリス マス
を迎えるのである。
Ⅱ.それぞれ違う目的
 クリスマスを楽しみにしている人々の目的も色々である。店の人々は売り上げ、子供はプレゼント、大人も何となく心が騒ぐのである。教会はクリスマスを通して伝道したいのである。私たちの知らない世界では悪を行う目的でクリスマスを待っている人も大勢いるのである。私たちクリスチャンは多くの人々を救いに導き、人々に喜びの知らせを伝える為に、クリスマスを待っているのである。ヨセフとマリヤは神様の目的を達成するために従いながらクリスマスを迎えたのである。私たちも神様の目的を成し遂げるために従いながらクリスマスを待ちたいのである。

Ⅲ.それぞれ違う結末

 当時、マリヤ以外にも妊娠したまま登録の為に遠いところに旅をした人がいるはずである。ヨセフとマリヤが出会った苦しみが彼らにもあったのである。しかし、その結果が何の意味もない苦難であった。しかし、ヨセフとマリヤは同じ苦しみにあったがそれは神様の預言を成就するため、欠かせない苦難であった。苦労、それ自体が預言の成就であった。マリヤとその以外の妊産婦、全く同じ苦難なのにその意味と結末が全然違うなんて面白い事である。
 旧約時代に預言する預言者がいれば、新約の時代にそれを成就する人がいる。私たちもマリヤとヨセフのように主に従い、大きく用いられる人になりたいのである。その決意を持って今年のクリスマスを迎えたいのである。