聖書:創世記28章6節~22節

6 さてエサウは、イサクがヤコブを祝福して、パダンアラムにつかわし、そこから妻をめとらせようとしたこと、彼を祝福し、命じて「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない」と言ったこと、
7 そしてヤコブが父母の言葉に従って、パダンアラムへ行ったことを知ったとき、
8 彼はカナンの娘が父イサクの心にかなわないのを見た。
9 そこでエサウはイシマエルの所に行き、すでにある妻たちのほかにアブラハムの子イシマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻にめとった。
10 さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、
11 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。
12 時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。
13 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。
14 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。
15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
16 ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。
17 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。
18 ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、
19 その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。
20 ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、
21 安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。
22 またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。

 ヤコブという名は、「押しのける」という意味がありますが、彼は、その名のごとく、兄を押しのけ、兄の祝福を奪うものでした。そして、その結果は、住み慣れた家を離れ、未知の土地へ向かって、孤独な旅に出発しなければならなかったのです。
 ベエルシバを立ったヤコブは、ハランへ向かう途中、神に会います。夢の中に現れた神様は、不安と恐れの中にあるヤコブに祝福と約束を与えて下さる方なのです。
Ⅰ.わたしはあなたの神
 神様は、ヤコブに「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である」(13節)と言われました。ヤコブの両親は信仰を持っていましたが、ヤコブ自身には、まだ神に対する個人的なはっきりしとした信仰はありませんでした。自力で進む道を生きていました。それはまったく神を無視する生き方でした。そして、そのために辛い旅に出た彼に神は現れて、アブラハムの神、イサクの神であったお方が、今度は、「ヤコブよ、わたしはあなたの神だ」と親しく語られているのです。ヤコブが切実に求めているのでも、素直に願っているのでもない。そのようなときに神ご自身から近づいて、「わたしはあなたの神である」といってくださるのです。なんと幸いなことでしょうか。
Ⅱ.あなたと共にいる
 ヤコブにとって、この旅は妻をめとるための旅でした。しかし、向かう先は、まだ一度も行ったことのない土地でした。彼の心はどうしようもない不安で満ちていたことでしょう。そして、家を出なければならなかったのは、兄の復讐心からのがれるという大きな理由がありました。兄に恨まれるほどのことをしたヤコブは、旅先でひとりぼっちになったとき、悔やむ気持ちで一杯だったかもしれません。いずれにしても心細い思いをしていたヤコブに「あなたと共にいる」と神はいってくださるのです。この言葉は、今このときいたとか、これからはいるとかという意味ではなく、「今までずっといたんだよ。そしてこれからもずっといっしょだよ」という約束なのです。ヤコブが信じていようといまいと神は共におられたのです。それからのヤコブは、神が共におられると感じようと感じまいと、共におれることを信じていくのです。
Ⅲ.語ったことをなす
 神は語られたことを必ず成し遂げてくださる方です。神はヤコブにいくつかの約束をしてくださいました。ヤコブが伏している地を与えること、地の諸族はヤコブの子孫によって祝福されること、ヤコブを守ること、この地に連れ帰ること。ヤコブがどこへ行っても、決して捨てないといわれるのです。家族から見捨てられているようなヤコブに対して、わたしは決して見捨てないといわれたことは、ヤコブに生きる希望をどんなに与えたことでしょうか。
 ヤコブは、この神を知ったとき、神に従おうとしていますが、そこには条件付であることがわかります(20、21節)。しかし、神様はヤコブに条件など、お付けになりませんでした。
 どこに行くにも、共にいたいと願っておられる神様です。そして、人生の荒野で、人からも神からも見捨てられたように思われるときも、主は共にいてくださること、「人生の荒野」こそ「神の家」であること、この祝福を自分のものとさせていただきたいと思います。