聖 書  イザヤ第9章1節~7節

1:しかし、苦しみにあった地にも、やみがなくなる。さきにはゼブルンの地、ナフタリの地にはずかしめを与えられたが、後には海に至る道、ヨルダンの向こうの地、異邦人のガリラヤに光栄を与えられる。
2:暗やみの中に歩んでいた民は大いなる光を見た。暗黒の地に住んでいた人々の上に光が照った。
3:あなたが国民を増し、その喜びを大きくされたので、彼らは刈入れ時に喜ぶように、獲物を分かつ時に楽しむように、あなたの前に喜んだ。
4:これはあなたが彼らの負っているくびきと、その肩のつえと、しえたげる者のむちとを、ミデアンの日になされたように折られたからだ。
5:すべて戦場で、歩兵のはいたくつと、血にまみれた衣とは、火の燃えくさとなって焼かれる。
6:ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。
7:そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもって/これを立て、これを保たれる。万軍の主の熱心がこれをなされるのである。

金 言 
 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。              (イザヤ9章6節)
 アドベントは日本語で『待降節』と言います。教会はクリスマスまでの4週間を、イエス・キリストのご降誕を待ち望む喜び、時を過ごします。町々がイルミネーションで輝き表面的には華やかな時期が来ましたが、今年は春に大震災があったことで、人々の心には沈痛な思いと将来への不安があり、日本全体が暗さに覆われています。私たちは人の心に永遠に消えない「希望の光」を、灯し続けてくださるために世に来られたメシヤ(救い主)の誕生を感謝して、クリスマスを喜び祝いましょう。
大いなる光の到来
 主イエスがお生まれになられる約900年前に、イスラエルは北王国と南ユダに分かれました。神の民ととなえられたイスラエルは、神の啓示やみことばに聞き従わずに、神様を無視して偶像を拝み、堕落した政治を行い、民衆の間に悪事が横行していました。やがて神は警告されたように、御顔を隠されると暗黒の時代がやってきます。まず北イスラエルはアッスリヤに侵攻を受け滅ぼされます。さらに霊的、国家的、環境的な暗黒の状態はイスラエルの地に長く続きます。神の民イスラエルに臨んだ長く厳しい苦難の暗黒の歳月が過ぎ、神は一転して大いなる光を投じられます。2節で「暗黒の地」とあることばは新改訳では「死の陰の地」と訳されています。死はこの世で最も恐ろしい暗黒とされます。つまり不信仰が招いた暗黒とは、人が恐れる「死の陰の地」に追いやられたような最暗黒の状態に等しいのです。そのような漆黒の闇にいた民にも、神の憐み深い働きが臨む時、大いなる光を与えられて救いだされると預言者は宣告しています。人間にはこの最暗黒の状態を人の努力や意志の力では完全に取り除くことはできません。なぜならこの世界の暗黒の原因は自分自身の心に淀む罪の暗さから来ているからです。暗黒に勝利するのは唯一光だけです。イエス・キリストは人の罪という心の暗黒に、希望の光として来られました。
メシヤ(救い主)の誕生の預言
 神を忘れて暗黒をさまようイスラエルの民に対して、預言者イザヤは人々に将来必ず希望の光が与えられると告げます。それが「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。」(6節)というみことばです。ここでは「生まれた」とか「与えられた」と過去形で語られていますが、これらはこの時点で既に起こったことではありません。預言者はこれから起きる出来事であるけれど、間違いなく確実に起こることを言い表そうとするときにあえて過去形を使います。この言語法は預言的過去とも言われて、イザヤも実際には将来のことを語りながら、すでに起こったことのように過去形で預言しています。彼は将来この国に、新しい王であり統治者が起こり、この方によって全イスラエルは暗黒から光へ、死からいのちへと180℃の変換をして下さると確信を持って預言しています。
平和の君の統治
 預言は神の御子イエス・キリストの現れにより成就しました。救い主として生まれるみどりごにやがて与えられる四つの名は(6節後半)、彼の働きの内容を表しています。「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」という、この四つの名はヘンデルの「メサイア」の中で繰り返し歌われています。「霊妙なる議士」(口語訳)は「驚くべき指導者」(新共同訳)もしくは英訳のワンダフルカウンセラーがわかりやすい訳です。この方に授けられた四つの名が現すように、救い主イエス・キリストは私たちが悩み恐れるとき真のカウンセラーとなって助け、教え導き、人間の能力を遥かに凌ぐ奇蹟を起こす神であり、真の父親のように愛と厳しさを持って私たちを永遠に守り、人の心を柔和にさせ平和を造り出されます。繁栄を極めたような日本の社会も内実は暗闇に置かれています。ワンダフルカウンセラーの主は、闇を歩く私たちの日々の悩みに解決をもたらすだけでなく、人間としてどう生きるかを聖書と祈りから明らかにされます。