聖 書 ルカ第1章8節~22節、57~66節

8:さてザカリヤは、その組が当番になり神のみまえに祭司の務をしていたとき、
9:祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。
10:香をたいている間、多くの民衆はみな外で祈っていた。
11:すると主の御使が現れて、香壇の右に立った。
12:ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。
13:そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。
14:彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。
15:彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、
16:そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。
17:彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。
18:するとザカリヤは御使に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。
19:御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。
20:時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる」。
21:民衆はザカリヤを待っていたので、彼が聖所内で暇どっているのを不思議に思っていた。
22:ついに彼は出てきたが、物が言えなかったので、人々は彼が聖所内でまぼろしを見たのだと悟った。彼は彼らに合図をするだけで、引きつづき、口がきけないままでいた。
57:さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。
58:近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。
59:八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。
60:ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。
61:人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。
62:そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。
63:ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。
64:すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。
65:近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、
66:聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。

金 言 
 そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。(ルカ1:13)
 アドベントという言葉は「来臨」とか「降臨」の意味がありますが、キリストの来臨はクリスマスに限ったことではありません。セカンド・アドベントと言えば、キリストの再臨のことを意味します。そう考えるとアドベントの時期のふさわしい過ごし方とは、キリストの再臨に備えることにもつながります。クリスマスが来るたびに、主が再び来られるのだと信じて、お互いはセカンド・アドベントの日を待ち望む者に整えられましょう。
敬虔な老夫婦
 ルカによる福音書ではイエス・キリストの誕生の前に、別の人物の誕生について記されています。それがバプテスマのヨハネです。彼の父はザカリヤ、母はアロン家の祭司の娘でエリサベツでした。二人とも神の律法を守る正しい人であって、熱心に主に仕えていました。二人は子どもが与えられることを願いながらも、それがかなえられず今はもうすっかり年老いていました。あるときザカリヤは神殿の聖所に入ってひとりで香をたき祈りをささげる大切な役目を仰せつかりました。するとそこに主の御使いが現れて、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。」と告げました。この突然の告知に驚愕したザカリヤは「どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています」。と答えます。彼が驚いて信じられないとうったえたのも当然だと思われます。
ザカリヤの祈り
 御使いはザカリヤに「あなたの祈が聞きいれられた」と言われました。ではザカリヤが神殿でささげていた祈りはどんな祈りだったのでしょうか。それは「子どもを授かりたい」というような私的な祈りではないと思われます。ザカリヤは神のみまえに正しい人でしたから神殿での祈りは、やはりイスラエルの救いを切に求めるものであったと考えられます。ザカリヤにはルカ2:25~38にでてくる神殿で幼子イエスの誕生を喜ぶ年老いたシメオンやアンナと共通した特徴があります。この三人はすべて自分たちに約束された神の子の誕生をいまかいまかと待ち焦がれていた人々でした。それならば御使いがザカリヤに告げた「あなたの祈が聞きいれられた」の本当の意味は、ザカリヤとエリサベツの夫婦に与えられる子どもの働きを通して、イスラエルの救いは現実のものとなります。というのが、ザカリヤの祈りに対する神の答えだったのです。事実、二人から生まれた子ヨハネは、主イエスが活動を始められる前に人々を悔い改めに導き、主イエスがどなたなのかを知らせる預言者的な働きをしました。しかしこのときザカリヤは、自分たち老夫婦に子が与えられることを通して、神はイスラエルの救いを始められるとは信じられなかったのです。年老いたザカリヤが驚きあわてて、「信じられない」と答えたのは当然と思われます。しかし御使いはザカリヤの応答を不信仰として、子どもが生まれるまでは話すことが出来なくなると告げると、事実そうなりました。
その子はヨハネ
 神はザカリヤの何を不信仰とされたのでしょう。神の業を人間の理性や経験で限定してしまう、そこに不信の本質があります。「神には、なんでもできないことはありません」(ルカ1:37)。これを信じることが、全知全能の神への信仰です。正しい人ザカリヤが律法を守ることに落ち度がなくても、「無から有を呼び出される神」(ローマ4:17)を信じるまでには至りませんでした。ザカリヤはしばらくの間、口が利けなくなり神から沈黙を強いられます。しかしこの沈黙は彼を不信仰から悔い改めに導き、彼の内側に働く神の力によって信仰は新たにされました。ザカリヤは十か月の間沈黙の世界に置かれたことで、彼ら夫婦に十か月後に子どもが生まれるように、彼の信仰も新たな誕生を迎えました。ヨハネが生まれた後、口が開かれたザカリヤが最初に語った言葉は神をほめたたえるものでした。さて生まれた子ヨハネの働きはヨハネ1:14~17にあります。彼は人々を「神に立ち帰らせる」ために、「みまえに先立って行き…整えられた民を主に備える」(17節)とあります。私たちもヨハネと同じ使命を持って、誰かのもとに主に先立って遣わされており、ただ主を指し示し続ける者となりたいと思います。