聖 書:創世記 第28章1~5節、10~22節
28:1 イサクはヤコブを呼んで、これを祝福し、命じて言った、「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない。
28:2 立ってパダンアラムへ行き、あなたの母の父ベトエルの家に行って、そこであなたの母の兄ラバンの娘を妻にめとりなさい。
28:3 全能の神が、あなたを祝福し、多くの子を得させ、かつふえさせて、多くの国民とし、
28:4 またアブラハムの祝福をあなたと子孫とに与えて、神がアブラハムに授けられたあなたの寄留の地を継がせてくださるように」。
28:5 こうしてイサクはヤコブを送り出した。ヤコブはパダンアラムに向かい、アラムびとベトエルの子で、ヤコブとエサウとの母リベカの兄ラバンのもとへ行った。
28:10 さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、
28:11 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。
28:12 時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。
28:13 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。
28:15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
28:16 ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。
28:17 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。

28:18 ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、
28:19 その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。
28:20 ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、
28:21 安らかに父の家に帰らせてくださるなら、主をわたしの神といたしましょう。
28:22 またわたしが柱に立てたこの石を神の家といたしましょう。そしてあなたがくださるすべての物の十分の一を、わたしは必ずあなたにささげます」。

 創世記は信仰の父祖アブラハムが祝福の基となり、二代目のイサクは穏やかで争いを好みませんが父の信仰をしっかりと受け継ぎます。ところが三代目のヤコブは、生まれながら兄のエサウを出し抜こうと画策するような抜け目ない性格でした。そんなヤコブがひとり旅を強いられたことで、旅路で見た夢で神様と出会い回心します。この夜がヤコブの信仰の転換点となります。

1. ヤコブ 孤独な旅のはじまり
ヤコブは兄エサウと双子で母リベカから生まれるが、出産のとき兄のかかとをつかんで生まれたことからヤコブ(かかと)と名がつけられた。ヤコブの語根にはだますという意味があるように、ヤコブは成長するに従い兄や父をだます抜け目のないずる賢い性格となった。お人好しで霊的なものにうとい兄をだまして、年老いた父イサクが授ける長子の権利を、兄を出し抜いて横取りすると兄の怒りを買います。ヤコブは兄から逃れるように故郷を追われて父の命令に従い、母リベカの兄ラバンの住む所(パダン・アラムの地ハラン)にひとり旅立ちます。旅の目的は伯父ラバンの家系から嫁を迎えることでした。察するにヤコブの胸中は暗く重い不安があった。兄の怒りが静まり兄と和解しなければ、自分が再びカナンの地には帰ることは難しい。未踏で未知の地ハランまでたどり着いても、父の求める嫁を探せるだろうか。これまでヤコブは策略家で自分の思いのままに抜け目なく成功してきました。孤独な一人旅野宿する夜に、先行きを思い悩む心を抱えて石を枕に眠りに伏す。

2. ヤコブ 天の梯子の夢
その夜ヤコブは不思議な夢を見る。天に向かってどこまでも遠大に伸ばされた梯子がある。その梯子を神の使いが上り下りしている。クリスチャン作家三浦綾子氏の著作に天の梯子という祈りに関する本がある。祈りは神様との対話であり、わたしたち神の子どもたちは、祈るという手段によって臆することなく、神様と語らうことができる。まことに祈りは天にかけられた梯子であり、わたしたちのつたない祈りはイエス様のお名前によって神様に届けられる。ヤコブは夢で神様のみこえを聞く。ヤコブがどこに行くにも共にいて、ヤコブとその子孫を祝福しこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない(13~15)。ヤコブは目が覚めると、それまでの不安は消えて信仰の目が開かれた。ヤコブ自身が神の家のど真中に座し、天の門を霊的な目で仰ぐことができた。

3. ヤコブ 継承される祝福
一夜明けたヤコブは枕にしていた石を記念の柱としてベテルと名付けた。アブラハムの神はヤコブの神でもあり、ヤコブは祝福が愚かな自分にさえ受け継がれていたことをこの地で知る(16)。新約聖書では「神の家というのは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、真理の基礎なのである。」(Ⅰテモ3:15)とある。教会は神様を信じる共同体で、いつの時代もみことばに基づいて真理が語られ、みこころが行われなければならない。「もしわたしたちが、望みの確信と誇とを最後までしっかりと持ち続けるなら、わたしたちは神の家なのである。」(ヘブル3:6)。神様を信じる者は世に調子を合わせることなく、十字架と復活を誇りとして福音を信じ続け、主は再び来られるという再臨待望の信仰こそが、わたしたちの最大の望みの確信だ。神様は主に背くニネベを愛されたように、この町の人々を慈しみ救いを与えるために、神の家である教会をこの町に据えられた。ヤコブの霊的な子孫であるわたしたちを、神様は祝福の基として用いられる。教会に集う人が神様を慕い求め、救いの道標(みちしるべ)となるようにわたしたちは励みましょう。