聖 書:エペソ人への手紙 第4章9~16節
4:9 さて「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。
4:10 降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。
4:11 そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。
4:12 それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、
4:13 わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。
4:14 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
4:15 愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。
4:16 また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。
7月を迎え2018年で考えると折り返しとなった。今年も主の戦いを覚える夏を迎えようとしている。今日は教区TBCデーであり、荻窪キャンプデーとして持たせていただく。
Ⅰ.いと高き栄光と最も暗い悲惨を知る主イエス様
先週24日の説教では、イエス様は天上の富と栄光を持たれていたが、私たちと同じ人となって誕生され、この御方によって、私たちは神様を知り、信じる者とされることを語った。9節「上った」とは、イエス様の十字架、復活後の昇天に当たる。イエス様は全人類の救いを成就して下さって、天に帰られ、神様の右に座された。勝利と栄光の主である。イエス様は栄光だけではない、「地下の低い底にも降りてこられた」という。この低い底を新共同訳、新改訳2017は「地上」と訳したので、クリスマスの降誕になる。使徒信条の「死にて葬られ、陰府にくだり」descendit ad inferos(原文)は、罪人としての死と地獄を表し、イエス様がこれを体験されたとしている。イエス様は神様の極みにある栄光も、人間の最も暗黒というべき悲惨をも持たれた御方である。
Ⅱ.リーダーを立て目標と使命を与える主イエス様
天上の偉大な栄光と地の最も低い悲惨を経験されたイエス様は、私たちを救い、一つに呼び集めて教会を建て上げられる。11節には教会のリーダーが出てくる。使徒、預言者は初代教会時代には存在した。やがて姿を消していった。伝道者、牧師、教師には職責の違いがある。それぞれに魂を神様の救いに導く、魂に配慮し神様に相応しく整える、神様の真理を教える。教会のリーダーが一致して当たるべき目標は12節以下にある。1)奉仕のわざをさせ:第一番目に教会の実務が出てくる。2)キリストのからだを建て:キリストの生命体としての教会形成。3)信仰と知識の一致:信仰だけ、知性だけではない。霊的・知的真理によって一つとなる。4)全き人となり:全人的な救いによって霊性が高められる。5)キリストの徳の高さに至る:キリストが香る人格の形成である。この目標達成のために、教会のリーダーはイエス様によって立てられ、仕えている。
Ⅲ.教会は主イエス様の高みを目指していく
教会のリーダーは正しく働きを進めていく必要がある。信仰者一人一人はキリストの体の器官であり、一人一人の働きが整えられていくことを通して成長していく。教会は戦いや困難の中でも成長し、前進していくことができる。13節「愛にあって真理を語」ることを通してである。真理のない愛は、ただ感情的なものであり、同情や甘やかしに陥っていくかも知れない。愛に神様の真理の裏付けがあるなら、そこに成長が見られていく。私たち一人一人が神様の使命を担いながら、信仰の一致、神様の命による一致をいただきながら、教会が建て上げられていくことができる。
神様の愛によって育てられていく。ぶどうの木が良い実を結ぶように手入れされ、十分な養分、水、日差しが必要であるように(ヨハネ15章)、命あるものが育つ夏を成長の時としよう。