説教題:「人生の四柱」    楊 慶 運師
聖 書:ヨブ2章1節~10節

(1) ある日、また神の子たちが来て、主の前に立った。サタンもまたその中に来て、主の前に立った。(2) 主はサタンに言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンは主に答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。(3) 主はサタンに言われた、「あなたは、わたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか。あなたは、わたしを勧めて、ゆえなく彼を滅ぼそうとしたが、彼はなお堅く保って、おのれを全うした」。(4) サタンは主に答えて言った、「皮には皮をもってします。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。(5) しかしいま、あなたの手を伸べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。(6) 主はサタンに言われた、「見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ」。(7) サタンは主の前から出て行って、ヨブを撃ち、その足の裏から頭の頂まで、いやな腫物をもって彼を悩ました。(8) ヨブは陶器の破片を取り、それで自分の身をかき、灰の中にすわった。(9) 時にその妻は彼に言った、「あなたはなおも堅く保って、自分を全うするのですか。神をのろって死になさい」。(10) しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。

 昨年も社会では様々な事があった。その中の一つは設計士と建築会社による偽装問題である。一つの柱に入れるべき鉄筋の数などの規格があるのにそれを無視して、利益の為にあまりにも弱い建物を造ってしまったのである。全ての建物にはそれを支えている柱がある。柱が弱ければその建物は長く続かないのである。四つの柱の中で一つでもないとそれはいつ倒れるか分からない。私たちの人生も建物に例えられるのではないかと思う。私たちの人生を支えている柱がある。今日は私たちの人生になくてはならない重要な柱を見ながら恵みを頂きたいのである。
Ⅰ.人生におけるいくつかの重要な柱
 ヨブ記を見ると彼の人生を支えている目に見える柱は四つくらいある。
 1.家族という柱である。
 2.財産という柱である。
 3.健康という柱である。
 4.友達、隣り人という柱である。
 これらの全てがヨブの人生を支えている重要な柱である。ヨブだけではなくて私たちも普通はこの四つの柱の上に立っているのである。私たちの神様も平常の時にはこれらの四つの領域を通して私たちを祝福して下さり、喜びと望み、生活の意欲を与えて下さるのである。そして私たちもある程度はこれらのものを通して神様の愛を身近に感じるのである。
Ⅱ.いつかは倒れる人生の柱
 人生の四つの柱がなくなる時の悲劇と悲しみをヨブに起こった実例を通して見る事が出来るのである。
 1.彼の家族が全員、急にいなくなった。10人の子供は死に、妻も心が離れてしまった。
 2.彼は全ての財産を一日で失ってしまった。
 3.彼は急に健康も失ってしまった。
 4.親しい友達から心に傷をつけられた。
 四つの中で一つでもないと人生最大のピンチなのにヨブはそれを全部失ってしまったのである。子供を失い、妻に酷く言われ、財産を失い、健康を失い、友達を失い、命以外のものは全部失ったのである。
Ⅲ.世の柱なしに立っているクリスチャンの人生
 この世の建物は大事な柱がいくつかなくなると必ず倒れるのである。人も同じである。しかし、ヨブは人生を諦めずに、信仰を捨てずに生き続けたのである。彼は精神力が強いわけでもない。理由は神様の命の綱に繋がっているからである。クリスチャンの人生を支えている基礎はこの地ではなくて天にあるのである。同じ悲劇を味わった人たちの中に一人は人生を諦めて下向きに行く人がいる反面、ある人は乗り越えて上向きに行く人がいるのである。クリスチャンは主からの力により、上向きの人になりたいのである。
 今年も私たちが暮らしている社会では様々な事が起こるかも知れない。しかし、神様は最後まで私たちを守って下さるのである。今年もひたすら主に信頼し、主に頼って生き続け、祝福される一年を過ごしたいのである。