聖 書:エペソ3章14節~19節  

(14) こういうわけで、わたしはひざをかがめて、(15) 天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。(16) どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、(17) また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、(18) すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、(19) また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。

 ここに車輪の図があります。この図は従順なクリスチャン生活を表しています。この図は三つの部分から構成されています。
 第一は車軸です。車軸は車輪の中心に位置しています。車軸はエンジンの動力を受けて回転します。これは生活の中心にキリストをおくこと、つまり生活のすべての分野において支配権をキリストに明け渡すことを表しています。第二は外輪です。外輪は車輪の外側に位置しています。外輪は車軸の回転力を受けて動きます。これはキリストに従順なキリスト者の姿を表しています。第三はスポークです。スポークは車軸と外輪の中間に位置しています。スポークは車軸の回転力を外輪に伝える役目を担っています。スポークがなければ外輪は動くことができず、車輪も前進することが出来ません。第一回は車軸について考えてみましょう。
Ⅰ.キリストが中心
 パウロがすべてのキリスト者のために父なる神に捧げられた崇高な祈りです。ここでパウロは「あなたがたの内なる人を強くし、・・・キリストがあなたがたの心のうちに住」(16.17)むことを祈り願っています。このことは私たちの人生の中心にキリストをおくことを意味しています。人にはそれぞれこだわりがあり、自分流というものがあります。つまり心の中心に何かをおいているのです。大切なことはその中心に何をおくかと言うことです。なぜならば人は知らず知らずのうちに中心においたものに自分の人生を支配されるようになるからです。私たちキリスト者は、その生活の中心にキリストをおき、生活の支配権をキリストに明け渡した者なのです。
Ⅱ.キリストの本質
 パウロはキリストのご本質が愛であると教え、「愛に根ざし(17)、愛を基として(17)、愛を知って(19)」生活することを強調しています。キリストは神であり、人です。ある時は神であり、別な時は神である、ある部分は神であり、別な部分は人である、ということではありません。また神は義であり、愛です。神は初(αアルファ)であり、終わり(Ωオメガ)です。このような二つの面は、キリストにおいても神においても言えることです。
 私たちの信仰生活における最大の関心事はキリストの愛であります。
Ⅲ.キリストの主権
キリストを心の中心におくということは、キリストの愛をおくことであり、生活の支配権をキリストに明け渡し、お委ねすることを意味しています。キリストこそは私たちの主の主であり、王の王です。生活のすべての分野(仕事・学び、お金・持ち物、結婚・家庭、教会、人間関係、余暇・趣味・・・)においてキリストの主権に従うことによって、バランスのとれたクリスチャン生活を送ることができるようになるのです。
 
 あなたの心の中心にキリストが位置して、キリストが主となっておられますか。車軸にキリスト以外のものがあると、車輪は思いもよらない方向に動いてしまいます。キリストに従う者とならせて頂きましょう。