聖 書:Ⅰコリント15:1~11
15:1 兄弟たち。私があなたがたに宣べ伝えた福音を、改めて知らせます。あなたがたはその福音を受け入れ、その福音によって立っているのです。
15:2 私がどのようなことばで福音を伝えたか、あなたがたがしっかり覚えているなら、この福音によって救われます。そうでなければ、あなたがたが信じたことは無駄になってしまいます。
15:3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
15:4 また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、
15:5 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。
15:6 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中にはすでに眠った人も何人かいますが、大多数は今なお生き残っています。
15:7 その後、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒たちに現れました。
15:8 そして最後に、月足らずで生まれた者のような私にも現れてくださいました。
15:9 私は使徒の中では最も小さい者であり、神の教会を迫害したのですから、使徒と呼ばれるに値しない者です。
15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
15:11 とにかく、私にせよ、ほかの人たちにせよ、私たちはこのように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。
2021年度最初の礼拝を迎えた。イエス様が死から復活されたイースター記念礼拝であり、新しい聖書に切り替わった最初の礼拝であり、洗礼式、役員任命式が持たれる礼拝である。喜びと感謝を神様にささげよう。コリント第一15章が開かれてきた。イエス様の死と復活の章である。この背景には、早くもコリント教会にイエス様の十字架の死と復活がおろそかにされる事態が起っているからである。イエス様の死と復活の証拠は1)聖書の預言の成就(3・4節)。2)証人の証言、ペテロ、12弟子、500人以上の兄弟たち~、パウロ(5~8節)。3)神様の宣教の事実、救われる者が起こり教会は立っている(11節)。イエス様の死と復活は、今、私たちに何を教え、私たちをどう変えていくのだろうか。
1)救い主であるイエス様
イエス様が教えを説く教師、神様を示す宗教家ではなく、ご自身が救い主であることを表わす(ローマ1:1~4)。イエス様こそが救いの中心となる御方である。
2)神様の救いの計画
イエス様の死は敗北ではなく、復活は空想ではない。神様の救いの計画を示した預言の成就(3・4節)である。イエス様の死と復活こそ罪からの救いに必要であった。ここに私たちの罪の解決があり、死への勝利が与えられている。
3)私たちの復活の予表
イエス様の死からの復活は初穂である。私たちは何れ死を迎えるが、死は終わりでも滅びでもない。イエス様に続く復活が保証されている(20・21節)。
4)私たちの内にある永遠の命
復活の命は終末になって初めて与えられるものではない。イエス様を信じる者は神様に霊的に結び合わされ、今現在もすでに復活の命にあり、永遠の命にある者として生きる(ローマ6:4・5)。
5)共におられるイエス様
旧約聖書の時代にイエス様は見えない形で存在された。イエス様は降誕によって約33年間、人として見える形で歩まれたが出会った人は限定される。イエス様は死と復活によって、今は見えない形で存在されているが、全ての人はイエス様に出会うことが出来、イエス様は共にいて下さる(8節パウロに、マタイ28:20イエス様を信じる全ての人に)。
古代教会からの伝統に受難週土曜日の復活徹夜礼拝がある。礼拝を終えたイースターの朝、「イエスは死からよみがえられ、あなたがたの前を行かれている。」、「キリストの光と平和のうちに出ていこう。」、「神に感謝、アレルヤ、アレルヤ。」と派遣の言葉が交唱される。コリント第一15章はイエス様の死と復活が私たちの勝利、力であることを結論とする。「しかし、神に感謝します。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」(15:57・58)。私たちもここから遣わされよう。