聖書箇所:ローマ5:1~11
5:1 こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
5:2 このキリストによって私たちは、信仰によって、今立っているこの恵みに導き入れられました。そして、神の栄光にあずかる望みを喜んでいます。
5:3 それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
5:4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
5:5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
5:6 実にキリストは、私たちがまだ弱かったころ、定められた時に、不敬虔な者たちのために死んでくださいました。
5:7 正しい人のためであっても、死ぬ人はほとんどいません。善良な人のためなら、進んで死ぬ人がいるかもしれません。
5:8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
5:9 ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって神の怒りから救われるのは、なおいっそう確かなことです。
5:10 敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。
5:11 それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。
パラリンピックも今日がフィナーレとなる。平和の祭典オリンピックも、政治やプロパガンダに利用され、巨額のお金が動き、テロや抗議も起こる。ウクライナ、ガザも休戦にはならなかった。閉会式の一部を見たが、平和に直接関与できなくとも影響は与えたと挨拶で言われたがどうか。この世界に平和がもたらせられるのは理想なのだろうか。
パリオリンピックが終わり、パリパラリンピックも今日がフィナーレとなる。平和の祭典オリンピックも、政治やプロパガンダに利用され、巨額のお金が動き、テロや抗議も起こる。ウクライナ、ガザも休戦にはならなかった。閉会式の一部を見たが、平和に直接関与できなくとも影響は与えたと挨拶で言われたがどうか。この世界に平和がもたらせられるのは理想なのだろうか。
Ⅰ.神様との平和
ローマ人への手紙の前半は、神様が備えられている人間との関係が順序立てて記されている。神様の救いの計画の全体像である。今朝の聖書箇所は、人が神様と出会って救いに与る神様の元からの第一歩の話の中である。
人が神様と出会う前の神様を知らない姿は、「弱かった」「不敬虔な」(6節)、「罪人」(8節)、「敵」(10節)とある。霊的な病弱さ、神を敬わない、罪にまみれ、神に敵対する者であった。人の世界であれば良い子は誉められ、悪い子は遠ざけられるが、神様はそのような姿である人にキリストを死に渡し、人への愛を表され、人を義とし、神の怒りから救われたとある。
義と認めると言う言葉が前後に繰り返されている。罪ある者が正しいと認められるためにイエス様が十字架で死なれた。その代償によって罪のない者とされる。そのように神様が備えておられ、神様が招いておられる。義とされることによって「神との平和」(1節)を持つことができる。神様を恐れることはなくなり、神様に近づき、神様と親しくなる。
Ⅱ.神様の導かれ方
神様が義と認めてくださり現実の歩みはどう変わるのか。3~5節には「苦難」さえも喜ぶことができる。「苦難」が「忍耐」を生み、「忍耐」が練られた「品性」を生み、「品性」が「希望」を生み出す。「希望」は失望に終わらない。聖霊によって神様の愛が心に注がれているからであると言う。
神様の救いに与れば苦難は無くなるのではない。苦難を乗り越える道、その力が与えられる。苦難を乗り越えていくのは短期、簡単ではなく、時間も痛みも要する。現代はコスパ、タイパが重視され、道のりは長いというと相手にされない。何もかも便利でスピード感のある時代になった。しかし、ネット上にあふれているのは情報で知性ではない。時間をかけて身に着けて行かないと自分のものにならない。
神様は即座の答えを与えてくださることはあるが時間をかけても、回り道をしてもご自身の愛と恵みを教えようとされている。
Ⅲ.神様にある喜び
何を喜ぶのかでその人自身の価値観、人となりが分かる。世の中に多くの喜びがあるが、神様を喜びとすることこそが人生の最大の喜びである(11節)。神様につながることは、永遠につながっているもの、全ての良きものを結び合わせていくものである。「主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」(ネヘミヤ8:10)とあり仮庵の祭りがささげられる。エルサレム城壁再建の苦難を越えてきたネヘミヤの結論である。
この世に多くの苦闘があるが、神様の恵みの道を歩み、神様を喜び続けることが何よりも力となる。